ローマ史上最高のカピターノ「トッティ」 最後に迫られた重大な決断

片野道郎

トリノ戦で見せた離れ業

20日に行われたトリノ戦で、試合終盤での交代から逆転劇の立役者となったトッティ 【Getty Images】

 4月20日(現地時間)に行われたセリエA第34節・ローマ対トリノ、1−2の劣勢に立たされたローマのルチアーノ・スパレッティ監督がフランチェスコ・トッティを最後の切り札としてピッチに送り出したのは、残り時間が5分を切った後半41分のことだった。

 シーズンが残り5試合となったこの時点でセリエA3位につけていたローマだが、過去2試合はいずれも引き分けと調子は下降気味。このままこの試合を落とせば4位インテルとの勝ち点差は1まで縮まってしまう。そうなればマスコミやサポーターからのプレッシャーは否応なく高まり、チームの内外が緊迫した空気に包まれることは避けられなかった。終盤戦の大事な時期に悪い流れに陥ってしまえば、ほぼ手中に収めていた虎の子の来季チャンピオンズリーグ(CL)出場権(3位以内=1〜2位は本戦、3位はプレーオフに出場)も、その手から逃げていきかねない。

 しかし、あと半年で40歳の大台に届こうというこの偉大なキャプテンは、ピッチに立ってからたった3分足らずでチームを絶体絶命の淵から救い出すという離れ業を演じて見せる。交代出場からわずか23秒後、ミラレム・ピャニッチが右サイドから蹴ったFKに合わせてファーサイドに飛び込み、右足アウトサイドに合わせて2−2の同点ゴールを決めると、その興奮もさめやらぬ後半44分、今度は相手のハンドで得たPKを冷静にゴール左隅に蹴り込み、ローマに逆転勝利をもたらした。スタディオ・オリンピコを埋めたロマニスタ(ローマサポーター)たちが狂乱の渦に巻き込まれたことは言うまでもないだろう。

隠せないここ数年での衰え

 1993年3月に16歳でセリエAデビューを飾って以来23年間にわたる現役生活で、過去50年のセリエAにはまったく例がなかった通算248ゴールという圧倒的な数字を積み重ね、イタリアサッカー史上に残る偉大なアタッカーとしての地位を確立したトッティだが、ここ数年はさすがに肉体的な衰えが隠せなくなってきていた。

 ここ3年間は故障で戦列を離れる頻度も高まって、実働期間はシーズンの半分強というところ。今シーズンも太腿の肉離れで前半戦をすべて棒に振り、1月に戦列復帰してからも出場機会のほとんどは試合終盤になっての交代出場に留まっていた。

 2月半ばには、毎試合ベンチを暖めるという状況に耐えきれず、TVインタビューで「監督の選択は尊重するけれど、僕がこれまでローマに果たしてきた貢献にもう少しのリスペクトを求めたい。このままキャリアを終えるのはあまりに惨めだ」と明らかに監督批判と受け取れるコメントを発し、大きな物議を醸すという出来事もあった。

 しかしそれでもこの日のトッティは、ひとたびピッチに立てば決定的な違いを作り出す力が今なお十分に残っていることを、自らのプレーによって改めて証明してみせた。

 トッティの長いキャリアにもついに終わりの時が近づいてきていることは、もはや誰の目にも明らかだ。しかしだからこそ、その活躍を少しでも多く目に焼き付けたいという思いを、ロマニスタだけでなくサッカーを愛する多くの人々が胸に抱いているはずだ。翌日の新聞各紙を埋めた「トッティ、君は伝説だ」「3分間で2ゴール、トッティに狂喜乱舞」「トッティこそがローマ」といった大仰な見出しは、そんなサポーター心理を強く代弁するものだった。

ロマニスタとして生まれ育った幼少期

レギュラーの座をつかんだ95−96シーズンのトッティ(左) 【写真:ロイター/アフロ】

 実際、23年間ローマ一筋でプレーを続け、正真正銘の「バンディエーラ」(旗印)としてキャリアを過ごしてきたトッティのストーリーは、「ビジネス」や「マネー」に支配された現在の欧州プロサッカーシーンにおいてはきわめて希有な、清く正しく美しい純愛物語である。

 1976年9月27日、ローマ中心街の庶民的な街区に生まれ、物心がつく前から当たり前のようにロマニスタとして育ったトッティは小学生の時からすでに、サッカーボールを持たせれば神童の誉れ高い天才少年だった。13歳でローマの育成部門にスカウトされ、憧れのジャッロロッソ(ローマの愛称)のシャツに袖を通すと、わずか16歳で早くもトップチームにデビューする。

 将来を約束されたクラブ生え抜きのビッグタレントという特別な地位を謳歌(おうか)しながら、準レギュラーというプレッシャーの少ない立場でプロフットボーラーとしての基盤を築いた幸運なティーンエージャー時代を経て、レギュラーの座をつかんだのは95−96シーズン。その2年後には、年上のチームメートたちによって背番号10を授けられ(それまでは20番や17番だった)、同時にキャプテンマークも託された。この時わずか21歳だったトッティは、それから現在まで18年間にも渡って、10番を背負った「カピターノ」(主将)として不動の地位を守り続けることになる。

 この97−98シーズンに就任したチェコ人監督ズデネク・ゼーマンは、それまで古典的な10番、すなわちトップ下の攻撃的MFとしてプレーしてきたトッティを、4−3−3システムの左サイドアタッカーとして起用した。ゲームメークやラストパスといった典型的な「10番」の枠には収まらない、よりFW的なプレースタイルを持つトッティは、この新しいポジションでアタッカーとしての資質を大きく開花させることになる。それまでの5シーズン合わせてわずか11ゴールに留まっていたものが、続く2シーズンで計25ゴール。個人成績に話を限れば、ゼーマンの下でプレーしたこの2年間はキャリアの前半におけるひとつのピークと言っても良かった。

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著者プロフィール

1962年仙台市生まれ。95年から北イタリア・アレッサンドリア在住。ジャーナリスト・翻訳家として、ピッチ上の出来事にとどまらず、その背後にある社会・経済・文化にまで視野を広げて、カルチョの魅力と奥深さをディープかつ多角的に伝えている。2017年末の『それでも世界はサッカーとともに回り続ける』(河出書房新社)に続き、この6月に新刊『モダンサッカーの教科書』(レナート・バルディとの共著/ソル・メディア)が発売。

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