足りないものを努力で補う新旧の「8」 長崎の背番号にまつわるストーリー

藤原裕久
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かつて背番号8を背負っていたCBの久留貴昭

長崎の背番号8は現在、アタッカーの木村裕へと引き継がれている 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 一般的に背番号8といえば、中盤から前の選手が背負う番号だろう。V・ファーレン長崎でも松橋章太(引退)、野田紘史(現ツエーゲン金沢)ら攻撃に絡むプレーを得意とする選手たちが背負い、現在はアタッカーの木村裕へと引き継がれている。

 だが、かつての長崎には、背番号8が守備の代名詞だった時代があった。その時、背番号8を背負っていた選手の名前は久留貴昭。まだJリーグに昇格する前の長崎を5年にわたって支えたセンターバック(CB)である。

 鹿児島実業高や福岡教育大で中心選手として活躍した久留が長崎へやって来たのは2006年。JFLの佐川急便大阪からプロの夢を求めての加入だった。ちなみに鹿児島実業時代のコーチは、現在は長崎に所属する安達亮ヘッドコーチ。また、上本大海とは同級生で、福岡教育大の2つ下には神崎大輔がいる。

 久留が長崎へ来た時に8番が与えられた理由は特にない。強いて言うならば「空いていただけ」ということらしい。だが、闘志を全面に押し出すプレーと天性のリーダーシップは、多くのサポーターを魅了し続けた。DFとしては体が大きくないため、けがに苦しめれることも多かった。だが、10年の引退まで全力を尽くし、プロへの夢を追い続けた……そんな選手が久留だった。

 現在、8番を背負う21歳の木村はJリーグクラブがある千葉県柏市で育ち、柏レイソルのアカデミーでプレーをしてきた選手である。ポジション、世代、環境、その全てが久留とは違う……。本来なら共通項を探すことが難しい両者だろう。だが、トレーニングを見ていると、フッと2人の姿が重なるように感じることがある。
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著者プロフィール

長崎県生まれ。年代・カテゴリーを問わず、長崎のサッカーを中心に取材する長崎県在住ライター。特にV・ファーレン長崎については、2005年のクラブ創設から現在に至るまで最も近くで取材しており、11年にはJリーグ昇格記念誌を発行、15年にはクラブ設立10周年メモリアルOB戦を企画・運営。現在も各種媒体でリポート・コラムなどを執筆している。

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