岩波拓也、決意を込めた2度の番号変更 神戸の背番号にまつわるストーリー

白井邦彦
アプリ限定

思い出深いナンバー「31」

岩波は15年シーズンから愛着のあった「19」を返上し、志願して「5」を背負っている 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】

 1月30日のリオデジャネイロ五輪・アジア最終予選「AFC U−23選手権 カタール 2016」決勝戦。U−23日本代表はライバルのU−23韓国代表を相手に2点のビハインドから劇的な逆転勝利(3−2)を収めてアジアの頂点に立った。ピッチで喜びを爆発させる監督、スタッフ、そして選手たち。その輪の中に、ヴィッセル神戸の岩波拓也の姿もあった。

 近い将来、A代表を背負うセンターバックとして期待される岩波が頭角を現し始めたのは2009年の神戸ジュニアユース時代だ。第24回日本クラブユースサッカー選手権大会(U−15)で優勝し、大会MVPに輝いたことでU−15日本代表に選出された。「神戸でも代表でもポゼッションサッカーをやっていて、それがすごく楽しかった」と岩波は当時を振り返っている。これが後に、武器の一つである高いビルドアップ能力へとつながっていく。

 10年に神戸U−18へ昇格した後も年代別の代表で活躍し、11年から2種登録選手として神戸のトップチームにも帯同。高校3年生だった12年6月にはトップチームに昇格し、10月にはJ1デビューも果たしている。

 当時の背番号は「31」。J1残留の懸かっていた最終節のサンフレッチェ広島戦(0−1)では、シーズン2度目の出場を果たしたものの、この試合に敗れてJ2降格が決まった。岩波はこの試合について「J1に残留できず悔しかったけれど、個人的には広島戦に途中出場でもピッチに立てたことは大きな経験だった」と語っている。岩波にとって背番号「31」は、J1デビューを果たした思い出深いナンバーであり、J2降格という屈辱を味わった苦い番号でもあった。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント