初志貫徹した日本、武器を捨てた韓国 決勝で見えた非伝統的なコントラスト
日本の“ジャガー”に対応しなかった韓国
浅野拓磨(右)の投入で日本がアクセルを踏み込んだ 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
そのスキは体力面以外からもやってきた。「相手が足元足元のパスでやり出して、ボールを取られても追うのが緩かったり、球際でも緩かったりしていた。なめてきているな」と感じていたのは岩波だった。左サイドバックの山中亮輔も、「こちらがFKを取って早くリスタートしても、対応してこなかったりするようになっていた」と、相手の“緩み”を感じていた。韓国側には体力的な限界点と同時に、圧倒的な内容で押し込む中での精神的なスキも生まれつつあった。韓国的ではない強さを持ったチームは、韓国的ではない弱さも持っていた。
後半15分、日本ベンチはMF大島僚太に代えて、FW浅野拓磨を投入。4−4−2にシステムを戻して、アクセルを踏み込む。これに対して韓国は、驚いたことに何の対応もしなかった。はなはだ心外なのだが、今大会無得点ということで、日本の快足ストライカーを少々なめていたのかもしれない。ハンドルを切ることも、ブレーキをかけることもない韓国に対して、日本の“ジャガー”が牙をむく。
後半21分、クロスへの鋭い飛び込みでウォーミングアップを済ませると、その1分後だった。右サイドでボールを受けた矢島のスルーパスから飛び出した浅野が、冷静にGKのスキを突いて1点差とするゴールを奪い取る。「全員が勝負どころを感じられた」と遠藤が胸を張ったとおり、この1点差でホッと息をすることなく、日本イレブンは緩んだ韓国に襲い掛かる。同23分、山中のドリブル突破からのクロスに合わせたのは矢島。「自分でも意外」なヘディングでの一発が決まって、試合は瞬く間に振り出しへ戻った。
世界を意識して五輪へリスタートを切れることの意味
手倉森監督を胴上げする選手、スタッフたち。「彼らが国民の前で、堂々と世界について語れる立場になって本当に良かった」と“情熱の指揮官”は試合後に語った 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
韓国は最後の10分だけ昔に戻ったかのようにロングボールからの攻撃を繰り返すが、そこに彼らのストロングポイントはなく、日本のストロングポイントがあった。日本は186センチの剛勇のセンターバック・植田直通を中心に、パワー勝負にもしっかりと対応。コインの裏表がひっくり返ったような戦いは、最後の最後で自らコインを再び返そうとしてしまった韓国の指揮官と、絶対的に見えた劣勢にも動じずに当初のゲームプランを貫徹した日本の指揮官の差が、3−2というスコアに表れる形となった。
これで日本は初のU−23アジア王者に輝くとともに、全年代を通じても、ザックジャパンがアジアカップを2011年1月に制して以来となる、アジアのタイトルを獲得することとなった(東アジアの大会は除く)。5年の空白はそのまま日本サッカーの未来への不安感へともつながっていたわけだが、ひとまずそれを払しょくするような勝利となる。その過程はまさに「奇跡的なシナリオ」(遠藤)であり、「ドラマだなあ」(室屋)としか評しようのないものだった。
もっとも、「すべてが足りていない」と手倉森監督が語ったように、アジアでも紙一重の戦いばかりだったこのままのチームで、五輪本大会を戦えるとは思えないのも確かだろう。半年でやれるだけのことをやり切って、チーム結成以来、ずっと掲げてきた「メダルを獲る」という目標へあらためて挑むことになる。「アジアで勝てない世代」と評されてきたチームが、世界を意識してリスタートを切れることの意味は計り知れないほど大きい。「彼らが国民の前で、堂々と世界について語れる立場になって本当に良かった」。“情熱の指揮官”は感慨深げに、今大会の価値を表現してみせた。