リオでメダルへ、ボッチャ・廣瀬隆喜 見据える先は東京での“金”

瀬長あすか

東京パラでメダルラッシュの期待

パラリンピック独自の競技「ボッチャ」をけん引するエースの廣瀬隆喜 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

「子どももお年寄りもハンデなしでできるレクリエーションとしての魅力がある一方で、競技としては、たとえリードされていても、後半の逆転劇が十分ありうる。やる方は燃えるし、見る人は“何が起きるか分からない”ワクワク感を楽しめると思います」

 パラリンピック独自の競技「ボッチャ」は、脳性まひなど重度障がい者による対戦型のスポーツだ。選手には1人6球のカラーボールが与えられ、「ジャック」と呼ばれる白いターゲットボール(目標球)にいかに近づけられるかで勝負を競う。カーリングと似ていて、ターゲットに最も近い場所にボールを置いた方が勝ちとなり、負けた方のボールの位置より内側のボール数が得点となる。男女の区別なく行われるのも特徴で、1992年バルセロナ大会からパラリンピックの正式競技になった。個人戦と団体戦があり、個人戦は1試合4エンド、団体戦は1試合6エンドを戦う。

 一般のスポーツファンにはなじみのないボッチャだが、東京パラリンピック開催が決まってから、じわじわと関心が集まっており、その競技人口も右肩上がり。実は、東京でのメダルラッシュも期待される競技なのだ。

「最近、大学での講演や特別支援校への訪問活動の機会が増え、普及活動の手応えを感じているんですよね。日本選手権でも若手が増えてきて、いい風を感じています。ボッチャの認知度をもっともっとアップさせるために、選手である私たちに必要なのは、大きく取り上げられるパラリンピックに出場し続けることだと思うんです」

 そう力を込めるのは、08年北京、12年ロンドンパラリンピックに出場した廣瀬隆喜だ。長きにわたり、日本代表をけん引しているエースは、「若手が増えたからには、自分のスキルをもっと上げないとね」とおおらかに笑った。

エース廣瀬の活躍でリオ出場をほぼ手中

国際大会で金メダルにも輝き、躍進の一年となった廣瀬。リオパラリンピック出場もほぼ手中に収めている 【写真:伊藤真吾/アフロスポーツ】

 廣瀬にとって15年は飛躍の一年だった。6月、アジアオセアニア選手権(香港)のチーム戦(BC1/BC2クラス)で銅メダルに輝くと、ボッチャ・ワールドオープン(ポーランド)のチーム戦で初めての金メダルを獲得。個人(BC2クラス)でも銅メダルに輝いた。また、7月にはボッチャ・ワールドオープン(韓国)の個人戦で銀メダルに輝くなど、強豪アジア勢の中でも安定した成績を残している。(選手は障がいの程度によりクラス分けされ、廣瀬は上肢での車いす操作が可能なBC2クラスに区分される)

 リオデジャネイロパラリンピックの出場枠は、3月末の世界ランキングをもとに発表されるが、廣瀬の活躍もあって日本は、チームとBC2クラスで出場枠獲得をほぼ手中に収めている。

「昨年6月に日本は団体戦でリオパラリンピックに出られるかギリギリのランキングでした。北京、ロンドンと2大会続いているパラリンピックの出場権を逃したくない。『チームでリオ切符を獲得しよう』と、一丸となって臨んだことが良かったのかもしれません」

 強豪アジア勢の中でも安定した成績を残しており、チームにメダルがない大会でも、個人でしっかりとメダルを持ち帰る。廣瀬にはエースの自覚があるのだ。

 そんな彼も、まだパラリンピックのメダルを手にしたことはない。14年のロンドンパラリンピックでは、団体戦で準々決勝敗退、個人は2回戦敗退だった。

「4年に1度のパラリンピックは夢の舞台。独特の雰囲気で緊張もするけれど、2020年東京で確実に結果を出すために、リオでは、過去2大会で成し遂げられなかったメダル獲得を。もちろん一番いい色を狙いたい」

 見据えるのは、東京での金メダルである。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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