恩師が見つめてきた羽生結弦の進化 「五輪王者」という夢が実現した瞬間

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震災後は見守るしかなかった

――五輪で勝つまでは、東日本大震災もあり苦難の道を歩んでいたと思います。震災後はこちらのリンク(神奈川スケートリンク)で練習していたようですけど、再会したときはどういう様子でしたか?

 震災後に会ったとき、「この子は今後スケートを続けていけるのか」というのは感じましたね。4月から10月の約半年くらいは、私のところを行ったり来たりしながら、アイスショーに出ていました。そしてそのシーズン(11−12年)の世界選手権で銅メダルを取り、それがきっかけとなって五輪の金メダルにつながったわけですよね。今思えば、震災のときは五輪のメダルを取れたのが奇跡だったと思うくらい傷心していました。

東日本大震災後の11−12シーズン、羽生は世界選手権で銅メダルを獲得した 【写真は共同】

――言葉を掛けたりしたのですか?

 言葉を掛けるというよりは、見守るしかなかった状態ですね。技術を教えるわけでもなく、あの子がそういう状況からどうやって立ち直り、スケートにもう一回挑戦をするか。自分の当初の目標としている姿にどう回復していけるか。でも、そうした中でも彼は非常に冷静で、自分の技術に対して取り組む姿勢はしっかりしていました。それは大したものですよね。

――もう立ち直ったなと感じた瞬間は?

 やはり世界選手権ですね。3位という結果を残したので、立ち直ってくれたなと思いました。

――その後、カナダに拠点を移しましたけど、何か具体的に変わったなというところはありましたか?

 変わったというよりは、カナダにはスケーターを成長させる条件がありますから。彼の持っている技術が環境によって新たに芽生え、同時に海外のコーチとの出会いによって新しい欲望、彼の持っている本能が芽生えた。そしてさらに高い次元に挑戦するようになったのが現状である気がしますね。

羽生の活躍が力になる

――競技者としての羽生選手をどう見ていますか?

 周りの人に感謝の気持ちを持って常に取り組んでいますよね。そういう気持ちでスケートをやっていますから、練習に対して無駄なく、本当に集中して消化して取り組んでいます。短い時間でも自分で作り上げる能力を持っているスケーターですから、昨シーズンもけが(中国杯での激突)や苦しみを味わいながらも、良い形で終わり、新たな挑戦をしています。この1、2年で今後も含めて、彼の人生の中では一番苦しい思いをあの年齢でしたんじゃないでしょうかね。そういう意味では、厳しい経験をして今日がありますから、彼は強い人間になったと思います。周りが思う以上に、皆の期待に負けないくらい、自分なりの強さを持っていると思いますね。

――今後はどういう選手になってもらいたいと思いますか?

 彼にはたくさんの目標があります。たとえばジャンプでは5種類の4回転をやるといったことや、5回転という言葉も会話の中では軽くありました。同時にアスリートだけではなく、芸術家になってもらいたいと彼に伝えたこともあります。昔と違って、今はアスリートであると同時に芸術家であるということも要求される時代なので、そうなってもらいたいと彼に話したことがあります。

都築コーチは羽生に対し、「今はもうただ見守るだけ」と語る 【スポーツナビ】

――今の羽生選手にアドバイスがあるとしたら?

 いや、今はもうただ見守るだけですね(笑)。彼がどういう形で進化していくか。それが楽しみです。

――羽生選手の活躍は都築コーチの刺激にもなっていますか?

 私自身あと何年生きられるか分かりませんが、この年になって素晴らしいものを見ることができたし、そういうものを彼は与えてくれた。私は今も子供たちを教えていますけど、まだもう少し情熱を継続できるし、彼の活躍が私自身の力にもなっています。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)

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