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山本昌、50歳での最終登板へ意欲
「最後が途中降板は嫌」引退会見全文
30日に行った会見ですがすがしい表情を見せる山本昌
30日に行った会見ですがすがしい表情を見せる山本昌【写真は共同】

 今シーズン限りでの現役引退を表明していた中日の山本昌が30日、名古屋市内のホテルで記者会見を行った。会見で山本は引退を決意するに至った胸中を語り、残り2試合(ともにマツダスタジアムの広島戦)での現役最終登板を目指すことを明かした。


 山本は1983年にドラフト5位で中日に入団。88年にMLBドジャース傘下のマイナー球団に野球留学し、帰国後にプロ初勝利を含む5勝を挙げチームの優勝に貢献。93、94年には2年連続最多勝を獲得、2006年9月16日の阪神戦では史上最年長のノーヒットノーラン達成、08年8月4日には史上24人目の通算200勝に到達した。プロ32年目の今季は3月に教育リーグ・福岡ソフトバンク戦でわずか1球で負傷降板、リハビリを重ね8月9日のヤクルト戦に登板するが2回途中にアクシデントでマウンドを降り、リハビリを続けていた。

 

 以下は会見での山本のコメント。

今後は野球評論家として活動

(冒頭のあいさつ)本日はお集まりいただきありがとうございます。32年間の現役生活を引退することとなりました。これまでたくさんご支援いただきありがとうございました。これからは野球評論家として活動していけたらと思っております。これからもよろしくお願い申し上げます。


――今の心境は?


 実感はないんですけど。まだシーズン中なので。ただ大きな決断はして、ある程度すっきりはしています。


――すがすがしい表情だが?


 やり残したこともありますし、やり切ったという思いもあります。本当の感想というのはこれからだと思います。この場にいることで、本当に引退するんだと。


――引退の経緯は?


 9月の上旬に落合(博満)ゼネラルマネジャーと少しだけ話す機会があり、「自分で考えろ」という言葉をいただきまして、その後の1カ月近く考えたわけですけど、ナゴヤドームの最終戦を見てチームは変わっていかなきゃいけないと思い、そこで最終的に決断しました。


――誰かに相談はしましたか?


 一番最初に妻に相談はしましたが、ずっと2人で考えてはいましたので……。あんまり人に相談はしてこなかったので、後輩の選手にはびっくりされましたけど、自分としてはいい判断だったかと思っています。


――奥様からの言葉は?


「よく頑張ったね」と。僕の方からも公私両面でサポートしてもらいましたので感謝しています。よくやってくれたと思っています。

アイク生原さんとの出会いが原点

――どんな野球人生だったか?


 18歳のときに大きな夢を抱いて中日ドラゴンズに入団しましたが、出だしでつまずいたというか。全然力が足りずに苦悩の日々を送っていたところ、やはり1988年にドジャースに野球留学をしたときにアイク生原さんに野球指導をしていただいたおかげで、まさかここまで花が咲くとは思っていなかったです。


 あそこが原点だったと。あの出会いがなければと思います。その後も監督、コーチ、先輩、後輩といろいろな人に恵まれて、この歳までやってこれた。これ以上、自分で筋書きを作れと言われても難しいくらいの現役生活を送れた。本当に幸せな野球人生だと思っています。


――特に思い出されるシーンは?


 32年は長いのでいっぱい思い出されますけど。一番自分で「よし、やった!」と思えるのは、2006年のノーヒットノーランをやった試合の次の阪神戦(9月30日、8回1失点で勝利投手に)。優勝争いの中でチームが追いつかれたときに、阪神をもう一度引き離すピッチングができた。あれが生涯のベストピッチだと思っています。


――一番誇れることは?


 ここ5年間。成績は満足するものを残せませんでしたけど、一生懸命頑張ったと思います。この5年間が一番、一生懸命野球をしたと思います。今年も頑張ったつもりなので。32年でここ5年が印象にある。よく頑張れたと思います。


――ここまでやってこられた原動力は?


 やっぱり野球が好きということ。あとは周りの方の期待に応えたいという思いで、ここまで突っ走れたかと思います。

ベースボール・タイムズ
ベースボール・タイムズ

プロ野球の”いま”を伝える野球専門誌。年4回『季刊ベースボール・タイムズ』を発行し、現在は『vol.41 2019冬号』が絶賛発売中。毎年2月に増刊号として発行される選手名鑑『プロ野球プレイヤーズファイル』も好評。今年もさらにスケールアップした内容で発行を予定している。

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