「勝ちたいから勝負しなかった」 松井秀喜を敬遠した河野投手に悔いなし

楊順行

松井が自ら引き寄せた明徳との対戦

日本中を敵に回した5打席連続から23年。河野投手(背番号8)は今も「勝負しとうない」と断言する 【写真は共同】

 1992年、夏。甲子園の話題を、一人の怪物が独占していた。ゴジラこと、松井秀喜(星稜高/石川)である。

 高校入学直後から強豪の4番に座る松井は、前年の夏に甲子園初ホーマーを記録すると、この年はラッキーゾーンが撤去されたセンバツでも大会記録に並ぶ3ホーマー。夏の石川大会でも、準々決勝で通算59号となる満塁アーチをかけていた。甲子園の長岡向陵高(新潟)戦では、あわや、という大飛球と特大の三塁打を放ち、別次元の力を見せつけている。

「こらあかん、思いましたよ」

 明徳義塾高(高知)の投手だった河野和洋は、そう振り返る。

「勝った方が対戦相手になるので、その試合をレフトスタンドで見ていたんです。初回、いきなり松井くんに回ったのですが、カーンと音がしたと思ったら、速すぎて打球が見えないんです。“あれ、どこ行った、見えへんぞ”ときょろきょろするうち、ライトがそのホームラン性のライナーをつかんで……」

 明徳・馬淵史郎監督は、星稜との対戦が決まると、練習をこっそりのぞきに行った。背筋がぞっとした。

「左打者なのに、社会人の選手でもよう入れんレフトのスタンドに入れよる……」

 高校生に社会人が、いや、プロが一人だけ交じっているようだった。

「ですから、試合の3日くらい前ですか、先発を告げられたミーティングで馬淵さんは“松井はもう、相手にせえへんから”。高校生なんで、意味はよう分かりませんでしたが、とりあえず“ハイ、分かりました”と(笑)」(河野)

 こうして舞台装置が整った明徳と星稜の一戦は、実は松井の自作自演ともいえる。組み合わせ抽選会で、明徳が引いたクジは7日目第3試合のAで49番目の登場だった。2回戦の抽選が行われるまで、1校だけ対戦相手が決まらずに不公平、とずっと言われていた枠だ。そこで前年から、49番目と対戦するチームを、17試合の1回戦勝者のうちからあらかじめ決めるようになった。そして抽選会で、7日目第3試合Bを引いたのが、星稜の主将・松井。つまり、初戦を突破したら明徳と対戦するというのは、松井自身が引き寄せた運命だったわけだ。

5打席、20球すべてボール

 8月16日。甲子園には松井、いや松井のホームラン見たさに、5万5000人の観客が詰めかけた。初回、星稜の攻撃。2死から山口哲治が三塁打を放ち、いきなり4番・松井に打席が回る。先発は背番号8の河野。背番号1の岡村憲二は肘を故障していて、河野が実質エースだ。高知大会の決勝では完投しており、球速は130キロ台ながら、縦のカーブがよく、制球も安定している。ただ初回のピンチで松井に対すると、外角にボールを集め、四球で歩かせた。

「“松井は相手にせえへん”とはいえ、馬淵さんから演技をしろ、と言われました。『松井にびびって、ストライクが入らない、というように、1球1球首をかしげろ』と。実際にそうしましたし、外野も守備位置を深くして、さも勝負しているように見せたんです」

 2打席目、明徳が2回裏に2点を先制し、3回1死二、三塁で再び松井を歩かせたときも、観客はまだ冷静だった。塁を詰めた方が守りやすいし、そもそも一打同点なのだ。いわば、教科書通りの満塁策である。松井のすごさを見るチャンスは、まだあるだろう。そしてここでは、続く月岩信成がスクイズを成功させ、星稜が1点を返している。ただしその後、松井の打席は以下の状況で迎えた

3打席目/5回表1死一塁(星稜1−3明徳)
4打席目/7回表2死走者なし(星稜2−3明徳)
5打席目/9回表2死三塁(星稜2−3明徳)


 いずれの打席も松井は、四球で一塁に歩くしかなく、4打席目あたりから球場が不穏な空気でざわつきだす。“えっ? ランナーなしで敬遠か”。そして9回、2死走者なしから山口が再び三塁打を放ち、松井の5打席目。初球、ボール。2球目、ボール……結局、投じられた20球に一度もバットを振ることなく、松井は一塁に歩くしかなかった。

 ここで、5万5000人が発散した不満が決壊する。松井のホームランを見に来たのに、勝負さえしないとは……というわけだ。心ない一人からあっという間に広がった「帰れ! 帰れ!」の怒号。それに酔った三塁側アルプス、そしてレフトスタンドから、物が投げ入れられる。青いメガホン、飲み物のパック、大ぶりのラジカセ、やがて殺伐とした中で中断。河野は振り返る。

「20球は全部真っすぐです。下手に変化球を投げて引っかかったら、ストライクゾーンに行きかねませんから。とにかく、自分から見てホームベースより右に投げることしか考えていません。オーラを感じるどころじゃないですよ、松井くんを見ていませんもん。たぶん怒っていただろうし(笑)。ただ確か3打席までは、ストライクが入らない演技をしていましたから、公式記録は敬遠じゃないと思いますよ。それが4打席目になると、さすがに完全にばれている(笑)。ネット裏のおっちゃんからは物騒なヤジがびんびん飛んできますし、“あかん、外すのなら潔く外そう”と」

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著者プロフィール

楊順行

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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