「勝ちたいから勝負しなかった」 松井秀喜を敬遠した河野投手に悔いなし

楊順行

「3点差ならば勝負していた」

4打席目以降、明らかな敬遠を感じた甲子園の大観衆からはゴミや、ラジカセなどが大量に投げ込まれた 【写真は共同】

 それにしても、思う。9回2死からの山口の三塁打がなければ、松井に5打席目は回らなかった。となると「帰れ! 帰れ!」の大合唱も、あの不快な騒動もなかったかもしれないのだ。そもそも明徳との対戦は、松井が引いたクジ……。

「ただ展開のあやを言うなら、ウチは3回に青木(貞敏)がスクイズを失敗しているんです。あれが成功していれば少なくとも4対1で3点差になり、また違っていたんじゃないかと思います。5回の1死一塁は、ホームランを打たれたら同点なので実際は歩かせましたが、3点差なら松井くんと勝負していたんじゃないか、と。それにしても、あんな騒ぎになるとはね。あの9回の雰囲気は異様でした。ラジカセ、乾電池、凍った缶ビール……。レフトを守っていた加用(貴彦)は、“当たったらシャレにならんぞ……”と身の危険を感じたらしいです。

 僕はとにかく早く試合を終わりたい、勝ちたいだけで、次のバッターを抑えることに集中していました。だけど、投げ入れられたゴミを回収している中断は、相手の月岩(信成)くんにとって、よけいな重圧をかける間(ま)でしたね。とにかく僕としては、松井くんの次の月岩くんマークなんです。いいバッターでしたから、どうやって外のスライダーを引っかけさせるか、そればかり考えていました」

 星稜は9回、四球で歩いた松井が二盗し、一打逆転のチャンスを迎える。だがここで月岩が、河野の思惑通りスライダーを引っかけて三塁ゴロでゲームセット――。勝ちに徹した明徳が、3対2という僅差をものにした。この夏の優勝は、西日本短大付高(福岡)。エース・森尾和貴は5試合中4試合を完封という完璧な投球を見せたが、おそらくは決勝の組み合わせより、明徳・星稜の一戦の方が多くのファンの記憶に残っているだろう。

「僕らは馬淵さんについていった」

現在はクラブチームで選手兼監督としてプレーする河野。背番号は「55」だ 【スポーツナビ】

 だが、勝った明徳はすっかり悪者になった。宿舎には嫌がらせや抗議の電話が殺到し、当時の日本高等学校野球連盟会長は「勝つことがすべてという考え方では、いろいろな弊害が起きる。ちょっと度が過ぎていたのではないか」と異例のコメントを発表し、マスコミも同調する。四面楚歌。明徳はその後、練習の行き帰りまでパトカーがつきそい、選手はもちろん馬淵監督まで宿舎から出られない異常事態となった。だからというわけではあるまいが、続く広島工戦(広島)では、0対8で完敗した。そこで、素朴に思う。河野は1打席ぐらい、球史に残る怪物と勝負してみたくはなかったか?

「勝負しとうないですよ(笑)。そりゃあ勝ちたいですから。僕はもともとのピッチャーじゃないので、あっさりしたものです。これがなまじ、145キロくらいを投げられれば、“オレの真っすぐを打ってみろ”というプライドはあるでしょうが、僕なんか自信があるのはせいぜいコントロールだけですから、プライドも何もない(笑)。勝負していたらホームランはともかく、ヒットは間違いなく打たれていたでしょう。

 それにしても馬淵さんは、折れませんでしたね。普通なら騒ぎが大きくなるのを嫌い、のちのバッシングを避けるためにも、“勝負しろ”と手のひらを返すのが世渡りでしょう。当時の馬淵さんは今の僕より若い(36歳、河野は現在40歳)ですが、僕にそれができるかどうか。だから、勝てたんです。仮に大差でリードし、松井くんと勝負したとするでしょう。そこで一発打たれていたら、勝負は分かりません。

 松井くんは星稜にとって、そういう存在なんです。松井くんが打てば、何かが起きる。チームが乗ってくる。馬淵さんは、本人もですが、それが怖かったんでしょう。次の試合で負けたあと、馬淵さんがミーティングで号泣したんですよ。聞きとれたのは“オマエらはようやった”という言葉くらい。当時はいくら批判されたとしても、そういう人だから僕らはついていったんですよ」

 河野は専修大から社会人のヤマハ、米国の独立リーグでもプレーし、NPB入りを目指したが、結局はかなわなかった。今はクラブチーム・千葉熱血MAKINGで、選手兼任監督を務めている。今年はクラブチームの最高峰・クラブ選手権(9月4日〜、西武プリンスドーム)への初出場を決めた。

「全国大会というのは、社会人の都市対抗以来です。体も絞りましたし、野球が楽しいですよ。できる限り続けたいですね。夢? 今はノックの打球をドームの天井に当てることくらいかな(笑)。僕にとっての星稜戦は、そういう野球人生のプロセスとしての1試合ですが、松井くんにとってはすごく大きな試合だったでしょう。なにしろ、一度もバットを振らないことが偉大さを示す伝説になるんですから。今後、5敬遠される打者は、もう出てこないんじゃないですか」

 いやいや、次の100年のうちに出てくるかもしれないぞ!

(文中敬称略)

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著者プロフィール

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。高校野球の春夏の甲子園取材は、2019年夏で57回を数える。

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