広島の番記者が松本で感じた“ある力” アルウィンが生み出す次なる夢
01年5月のこけら落としでは広島対福岡のプレシーズンマッチが開催されたアルウィン。今では松本山雅のホームスタジアムとして親しまれている 【(C)松本山雅FC】
あの日、思ったことが現実に
時は日韓ワールドカップの前年、コンフェデレーションズカップの直前である。もちろん、日本代表への興味は尽きなかったが、僕のファーストチョイスはサンフレッチェ広島だ。この日、広島は松本平広域公園総合球技場のこけら落としに招待され、アビスパ福岡とのプレシーズンマッチに臨んでいたため、同行取材したというわけである。
学生時代にワンダーフォーゲル部に所属していた僕にとって、松本は初めての街ではなかった。毎年1度は必ず訪れ、この街を起点にして北アルプスや八ヶ岳など、さまざまな山へと出かけていった。
当時は、バックパッカーが若者の文化・風俗として定着していた時代で、僕らのような山が目的とした者だけでなく、フラリフラリと放浪を続けるような若者も含め、たくさんの10〜20代の男女が松本の街を歩いていた。僕はといえばお金もなく、松本駅のバルコニーのような場所で寝袋を敷き、そこで眠っていただけなのだが。
そんな青春時代から20年、久しぶりの松本の印象は、実はほとんどなかった。試合に訪れ、すぐに戻らねばならなかった事情もあるのだが、不思議なことにこの時に試合が行われたスタジアムの印象もほとんどない。「なんで広島と福岡が松本で?」という疑問が、最後まで払拭(ふっしょく)できなかったことだけを覚えている。
この試合、広島はリーグ再開後の戦いをにらみ、高卒ルーキーだった田中マルクス闘莉王や2年目の山形恭平らを起用する一方で、元日本代表の久保竜彦や藤本主税、森保一や下田崇らそうそうたるメンバーもそろえていた。ただ、当時のレポートを読むと、内容は低調。広島・福岡共にミスが多く、「これがJ1だ」と声高に言えるものではなかったことも、記憶から試合のことが消された要因だったのかもしれない。
ただ、当時からサッカースタジアムでの試合を熱望していた森保一が、目を輝かせてこのスタジアムを絶賛していたのは覚えている。
「松本のようなJクラブのない街でも、こんなに素晴らしいサッカースタジアムがある」
その事実が、森保の心を動かしていた。
「ここにもし、地元のチームを応援するサポーターがいて、そのサポーターでスタンドが埋まったら、きっとすごい光景になるのだろうな」
森保一が感じたこの感覚は、約10年の時を経て現実化し、美しいアルプスの山並みとともに、松本の文化となろうとしている。
コンパクト感が一体感を生み出す
決して大きくはないスタジアムに毎試合多くのサポーターが足を運び、「熱戦」を生み出している 【(C)松本山雅FC】
だが、このコンパクト感が一方で一体感を生み出す。すべては考え方、とらえ方だ。
01年は5838人が来場したこのスタジアムだったが、広島にも福岡にも、それほど思い入れがない人々が大半。サッカーが好きで好きでたまらない人もいただろうし、招待券をいただいたからという人も、あるいはただ何となくという人たちもいただろう。間違いないのは、広島を(あるいは福岡を)応援しようという人々はごく少数で、5500人くらいの方々が「観戦」に訪れたという現実。試合後、スタンドでは「面白かったね」「やっぱりプロは違うね」という過分な言葉をいくつも聞いたが、それがきっかけで松本山雅がプロを目指し始めたという物語ではあるまい。
だが、その時に感じたのは、ギュッとコンパクトな空間は観客たちの声を束にして集める効果があるという事実。選手たちがダッシュを繰り返すその姿に、キックのスピードに、ミリ単位の精度に、身体と身体がぶつけあう音に、「おおっ」「すげぇ」「はあへー」という観客たちの素直なリアクションが巻き起こり、それが集まって歓声と化した。その歓声がいくつにも折り重なり、14年前の試合は決して「熱戦」ではなかったのに、「熱い戦い」に見えてきたのである。