広島の番記者が松本で感じた“ある力” アルウィンが生み出す次なる夢

中野和也

駒場、あるいは仙台、日立台

アルウィンのサポーターの声援は、仙台に近いところがあり、何でもないクリアだけでも大歓声が巻き起こる 【写真:築田純/アフロスポーツ】

 15年3月14日、アルプスとウインド(風)からくるアルウィンという造語が愛称となったこのスタジアムには、17091人が集まった。しかも、彼らのほとんどは「観客」ではなく「サポーター」だった。約500人の紫サポーターを除いた、およそ約15000人ほどだろうか。多くが緑のシャツを身につけ、緑のマフラーを身にまとうなど、緑の「何か」を手にしていた。そして選手たちが入場すると、サポーターは総立ち。バックスタンド→ゴール裏→メインスタンド→ゴール裏、1部の紫サポーターを取り囲むように、緑のマフラーが天高く掲げられ、自分たちの選手を鼓舞した。それはまさに緑で覆われた信州の山々のよう。14年の歳月は、試合を見ることを目的とした観客から、選手とともに闘いたいと願い、その気持ちをパフォーマンスとして表現できるサポーターを生み出していた。

 僕はその時、唐突に「駒場」(浦和駒場スタジアム)を思い出した。1999年11月27日、広島がJ1生き残りを懸ける浦和レッズと対戦した時に感じた、圧倒的な声のボリュームと迫力。僕は常々、5万人が入った埼玉スタジアム2002もすごいが、2万人の駒場のほうが浦和サポーターの脅威と情熱が感じられたと思っている。それはこのときの2万人弱(今よりもはるかに数が少ないとはいえ、広島サポーターもいた)がピッチに向かって降り注いだ「WE ARE REDS」を聞いているからだ。

 狭い空間で声と声が連結し、束となる。一人ひとりの声は小さな枝かもしれないが、ギュッと凝縮すれば極太で堅い幹になる。かつて駒場で聞いた「WE ARE REDS」、ユアスタ(ユアテックスタジアム仙台)で胸に刺さった「レッツゴー仙台」、他にも柏(日立柏サッカー場)や日本平(IAIスタジアム日本平)で感じた圧力と同じテイストのものが、この日のアルウィンにも存在したのである。

 ただ、「凝縮」ということでは同様ではあるが、アルウィンのサポーターの声援はひと味違う。あえて近いものを探すとすれば、仙台ではないか。審判の判定に対して「えーっ」という声はあがるが、すぐに切り替えて味方選手へのコールや拍手が鳴り響く。ブーイングやヤジの類いはほとんどなく、ただひたすらに味方への声援を繰り返す。前から一生懸命にボールを追った選手に対して、たとえボールを奪えなくても、まったくの無駄走りに終わったようでも、大きな拍手が起きる。何でもないクリアだけで、大歓声が巻き起こる。 

 特にスゴいのは、守備から攻撃に切り替わったその瞬間、まだチャンスになるかどうかも見えないところから、自然発生的に巨大な声の束がピッチに降り注ぐことだ。その瞬間は何でもない一場面のはずなのに、巨大な声援に背中を押されるように、次から次へと選手が後ろからわき出してくる。1点目のPKも、裏に出された浮き球の処理を広島が手間取ったというミスからスタートしたが、前でオビナがキープしたところから次々と緑の戦士たちが大声援に押し出されるように飛び出し、その迫力が広島のファウルを生んだ。81分、カウンターからのクロスに飛び込んできたのも、「こっちにこい」と引き寄せんばかりの声にけん引された最終ラインの後藤圭太だった。

 かつて「何でもないプレーなのに、チャンスだと思わせる力がある」とサポーターの声援について語ったのは小野剛現ロアッソ熊本監督である。その力は、まるで「元気玉」のよう。しかもその「元気の集積」を相手にぶつけた時、強烈な破壊力を生み出すだけでなく、広島のパス回しに対して足が止まり掛けていた松本の選手にパワーを与え、疲れを癒やす「仙豆」のような力も持っていた。それは、応援のテイストはまったく違うが、最近の日立台で感じるパワーと似た感覚を覚えた。

これぞ、スタジアム

 サポーターの声援が選手に力や脅威を与えるなどと書くと「そんなばかな」という人もいる。それは実体験がないと分からない。スタンドではなくピッチで実感しないと、それも第三者ではなく当事者意識をもってその場所に立たないと、分からない。

 僕も03年、命を削るようなJ1昇格争いの中でカメラマンとして仕事をした時、「ここでJ1に広島が昇格できなかったら、俺の仕事はどうなっていくんだろう」という危機感とともにピッチに立っていたから、あの時のサポーターの声援が心に染みたし、その声援によって力を得ることができた。逆に4万人のアウェーサポーターにさらされた新潟では、これ以上ない孤立感と無力感に悄然となった。

「アルウィンで闘うこれからのチームは、苦労すると思う」

 こけら落としとJ1ホーム開幕、アルウィンの歴史に2度も名前を刻むことになった森保一は、そう語った。

 反町康治監督が認めたように、J1レベルでは実力の差は明確。オビナは脅威だったし、徹底したカウンター戦術とハイボールでの戦いは迫力もあったが、2戦で5失点という現実は重い。人数をかけて押し込みはしたが、結果としてネットを揺さぶれなかったことも現実だ。

 それでも、アルウィンでの勝利は難しい。15000人もの「元気」が常に松本山雅の後ろにいる。彼らがつくった「元気玉」が、いつさく裂するかも分からないし、「仙豆」の効果も抜群である。アルウィンを取り囲むアルプスに御座(おわ)す神々からも元気と力を受け取っているかのように、アルウィンの熱気はずっと気温0度の中でも冷めない。

 この空気感が勢いや流行ではなく、文化や伝統として定着していくのであれば、今年とか来年という意味ではなく、もう少し長いスパンでの話ではあるが、間違いなく松本山雅は強くなる。

「こういうスタジアムが、広島にも欲しい」

 森保監督や佐藤寿人ら、広島側の声が切実さを増したのは、スタジアムの力を改めて実感したからに他ならない。

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著者プロフィール

1962年生まれ。長崎県出身。広島大学経済学部卒業後、株式会社リクルートで各種情報誌の制作・編集に関わる。1994年よりフリー、1995年よりサンフレッチェ広島の取材を開始。以降、各種媒体でサンフレッチェ広島に関するリポート・コラムなどを執筆。2000年、サンフレッチェ広島オフィシャルマガジン『紫熊倶楽部』を創刊。近著に『戦う、勝つ、生きる 4年で3度のJ制覇。サンフレッチェ広島、奇跡の真相』(ソル・メディア)

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