赤星貴文と柴村直弥が海外挑戦で得たもの 異国で戦う男たちが語る日本との違い

柴村直弥

現在ロシアでプレーする赤星(右)とポーランドでプレーする柴村。彼らは海外挑戦で何を感じているのか対談してもらった 【提供:柴村直弥】

 私と赤星貴文選手が最初に出会ったのは2008年。Jリーグで対戦したときだ。当時私は徳島ヴォルティスに所属しており、赤星選手は浦和レッズからの期限付き移籍で水戸ホーリーホックに所属していた。対戦前に相手チームの分析をしていて、赤星選手とパク・チュホ選手(現マインツ05/ドイツ)が要注意だと思っていたのを覚えている。試合後にスタジアムの下でバスに乗り込むところでたまたま遭遇し、話をしたのが最初のきっかけだ。

 その後も何度か対戦した。それから彼はラトビア、ポーランドのクラブでプレーし、昨年7月からはロシア・プレミアリーグのFCウファに所属。私はラトビアからウズベキスタンに渡り、そして現在はポーランドのOKSストミール・オルシュティンでプレーしている。お互い海外へ行ってからも連絡を取り合い、トルコキャンプの時期は現地のホテルで会ったりするなど、付き合いは続いている。今回の再会は6月にポーランドで会って以来だ。その後に赤星選手はFCウファに移籍したが、半年ぶりの赤星選手は新たな環境でもまれ、より一層逞しさを増したように感じられた。(対談は昨年12月末に実施)

日本と海外でのプレーでの違い

柴村 ロシアのリーグはどうですか?

赤星 ロシア人もそうですが、特に外国人選手のレベルが高いです。各クラブ豊富な資金がありますから。スピードもあるし、体力もあるので、走力が必要になってくると思います。ポーランドはどうですか?

柴村 フィジカルコンタクトや1対1の部分は際立って強く、それでいて技術の高い選手も多いですね。テクニカルでもあり、それでいてタフなリーグという感じですかね。その辺りは赤星選手が日本人で一番詳しいと思いますが(笑)。

赤星 (ポーランドのポゴニ・シュチェチンに)3年半いましたからね。まさにそんな感じです。あとは長身の選手が多いってことくらいですかね。ロシアもそうですが(笑)。

柴村 昔からよく言われる部分ではありますが、海外では相手が身体で当たってきたときにそれを受け止めてボールをキープしたり、守備面でもボールを奪い切る能力に長けている選手が多いというのは体感してみて感じるのですが、どうですか?

赤星 そうですね。そこは明らかに違いを感じます。

柴村 これは単純に体格だけの話ではないと僕は思うんです。

赤星 というと?

柴村 象徴的な例を挙げると、僕がパフタコール(ウズベキスタン)でプレーしていたとき、セカンドチームに当時18歳の小柄な選手がいたんです。その選手は身長も160センチそこそこ、華奢(きゃしゃ)でパッと見は日本の中学生くらいの体格なんです。僕がいたときはたまにトップチームの練習に参加してくるくらいだったのですが、翌年から試合に出るようになり、僕がブハラ(ウズベキスタン)に移籍してパフタコールと対戦したときにも、試合に出場していたんです。そこで、うちのチームの190センチある筋骨隆々なナイジェリア人DFがその選手がボールを持っているところを後ろから奪いに行ったんです。そうしたら彼はそれをよけることなく、体でガツっと受け止めたんですよね。必死に奪いに来る190センチのDFを160センチそこそこの小さい体でうまく抑えながらボールをキープしてたんです。5秒くらいずっとボールをキープし続け、最後は抜かれそうになったDFがファウルで彼を止めました。160センチそこそこの華奢な選手でも、190センチの体格の良い選手に対して触られないようにかわすのではなく、体で対応できるんですよね。そこには育成の違いがあると思います。

赤星 分かります。

柴村 海外の選手が球際に強いのは単純に体格だけの話ではなく、子どものころから相手がボールを奪いに来たときに自分でなんとかする習慣が身に付いているから、ボールを奪われない技術が付いていく。逆もしかりで、守備も奪いに行くからギリギリのところでボールを奪う技術と経験が身に付く。その積み重ねは大きいと僕は思います。

赤星 それはあると僕も思いますね。あとは海外の選手たちは若いうちからみんな自立してますよね。海外では集団で動くことよりも個が尊重されている気がします。誰かがするから自分もするというようなことではなく、みんな自己責任で自分で判断して行動していますよね。

柴村 日常で自立しているからこそ、サッカーにおいても自立できてますよね。16歳のユースの選手でも自分の判断で責任を持って行動し、プレーできる。

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著者プロフィール

1982年生まれ。広島市出身のDF。広島皆実高から中央大へ。卒業後はアルビレックス新潟シンガポールでプレーし、Jリーグではアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、ガイナーレ鳥取、藤枝MYFCでも活躍し、2011年ラトビアの強豪FKべンツピルスへ移籍。同年のUEFAヨーロッパリーグでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、国内2冠を達成。翌年のUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に大きく貢献した。国内リーグ最多優勝並びにアジアで唯一AFCチャンピオンズリーグ(ACL)全大会に出場しているウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。熱烈オファーを受け、同リーグのFKブハラへ移籍。同チームでも主力として活躍し、2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。14−15シーズンからはポーランドのOKSストミール・オルシティンでプレー

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