かつての盟主、サウジアラビアの失望 日々是亜州杯2015(1月18日)

宇都宮徹壱

凋落のサウジアラビアと躍進のウズベキスタン

サウジアラビアのサポーター。この日はウズベキスタンに勝つか引き分ければグループ2位が決まる 【宇都宮徹壱】

 大会10日目。この日はグループBの最終節、中国対北朝鮮がキャンベラで、ウズベキスタン対サウジアラビアがメルボルンで、それぞれ行われる。ブリスベンでの4日間の取材を終えた私は、そのまま空路でメルボルンに戻った。メルボルンは開幕戦を取材して以来だから9日ぶり。その時には気付かなかったが、他の開催地に比べるとかなり涼しい。特にブリスベンは猛暑続きで、昨日(17日)午前の日本代表の練習のときは、36度を記録した。ところがメルボルンの今日の気温は18度。ポロシャツと短パン姿で当地に降り立つと、ずい分と肌寒さが感じられた。

 ここでグループBのおさらいをしておきたい。現在の順位は、1位中国(勝ち点6/得失点差+2)、2位サウジアラビア(同3/同+2)、3位ウズベキスタン(同3/同±0)、4位北朝鮮(同0/同-4)。サウジアラビアとウズベキスタンには、この第3戦の結果次第で中国と勝ち点で並ぶ可能性はあるが、いずれも中国と対戦して敗れている。そのため「当該国同士の対戦成績」というルールにより、中国の1位通過は確定。メルボルンでのゲームは、グループ2位と生き残りを懸けた一戦となった。

 そのサウジアラビアとウズベキスタンだが、両者には特段の因縁があるわけではない。が、ここ20年の両者のバイオリズムを重ねてみると、なかなかに味わい深いものが見えてくる。サウジアラビアは、かつての中東、さらにいえばアジアの盟主であった。ワールドカップ(W杯)初出場を果たした1994年の米国大会では、いきなりのベスト16進出。以来、4大会連続での本大会出場を果たしている。またアジアカップでは、初参加となった84年のシンガポール大会で初優勝を果たすと、2000年のレバノン大会までの5大会で優勝3回、準優勝2回という驚異的な成績を残している。

 サウジアラビアのピークは、最後のW杯出場となった06年からアジアカップ準優勝となった07年までであった。その後、かつての盟主は一気に凋落。以来、2大会連続でW杯出場を逃している。11年のアジアカップも、中東カタールでの開催であったにもかかわらず、グループリーグ敗退の憂き目に遭った。代わってクローズアップされたのがウズベキスタン。94年のFIFA(国際サッカー連盟)加盟以来、W杯は未出場ながら、アジアカップでは04年中国大会から3大会連続でグループリーグを突破し、前回の11年大会ではベスト4進出を果たしている。はたして今大会、サウジアラビアの古豪復活はなるのか、はたまたウズベキスタンとの差はより顕著となるのか。今後のアジアの勢力地図を占う意味でも、この試合は重要な意味を持っていた。

試合を決定づけたラシドフの2ゴール

グループBの2位争いはウズベキスタンに軍配。サウジアラビアは2大会連続のグループリーグ敗退となった 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 開始早々の2分、いきなりゴールが生まれる。中盤右サイドでの攻防から、この日が大会初スタメンとなるサルドル・ラシドフが一気に加速。追いすがる相手DFを振りきって角度のない地点から放たれたシュートは、サウジアラビアGKワリード・アブドゥラーの股間を抜いてゴールネットを揺さぶった。ゴールを決めたラシドフは、国内の強豪ブニョドコル所属の23歳。今大会での活躍で、一躍ヨーロッパに雄飛する可能性は十分にありそうだ。

 ウズベキスタンはその後も、前半11分に右サイドバックのシュフラト・ムハンマディエフが個人技で持ち込んで惜しいシュートを放っているが、それ以降はゲームの主導権がサウジアラビアに移る。前半に追い付くことはできなかったものの、ポゼッションでは60.5対39.5と圧倒。26分には、右コーナーキックから決定的な場面を迎えるが、これはウズベキスタンGKイグナティ・ネステロフのパンチングに阻まれてしまう。それでも、引き分け以上でグループを突破できるサウジアラビアは、前半終了時にはまだ余裕が感じられた。

 後半も、攻めるサウジアラビア、耐え忍ぶウズベキスタンという基本的な構図は変わらず。ウズベキスタンはラシドフ、ムハンマディエフという右サイドのホットラインから時おりチャンスを作るものの、それ以外はずっと受け身に回る時間帯が続く。そして後半15分、ペナルティーエリア内でのビタリー・デニソフのファウルでサウジアラビアにPKを献上。これをムハンマド・アル・サハラウィに決められ、とうとう同点とされてしまう。

 しかし、ここからウズベキスタンが本領を発揮する。後半26分、センターバックのシャヴカト・ムラジャノフがドリブルで右サイドを駆け上がり、アタッキングサード手前からクロスを供給。これに、途中出場のボヒド・ショディエフが相手DFに競り勝って、迫力あるヘディングシュートを決める。さらに後半34分には、左サイドを突破したジャスル・ハサノフからのパスを受けたラシドフが、GKとの1対1を制してこの日2ゴール目をゲット。いずれのゴールも、ウズベキスタンのベンチ全員がピッチに飛び出すくらい劇的だった。ファイナルスコアは3−1。勝利したウズベキスタンは逆転でグループ2位に滑り込み、敗れたサウジアラビアは2大会連続でのグループリーグ敗退が決まった。

オラロイ監督が語った、サウジアラビアに足りないもの

劇的な勝利に歓喜するウズベキスタンのサポーター。彼らの声援は代表チームの背中を押し続けた 【宇都宮徹壱】

 試合後、サウジアラビアの監督会見に登壇した顔に見覚えがあった。ルーマニア人のアウレリアン・コスミン・オラロイ、45歳。昨日のコラムで「アジアカップに出場する元Jリーガー」について言及したが、実はオラロイも00年にジェフ市原(現ジェフ千葉)でDFとしてプレーしている。同年で現役を引退すると、故国ルーマニアのクラブを指揮したのち、07年から活躍の場を中東に移した。そして、サウジアラビア、カタール、UAEのクラブを渡り歩き、昨年12月からサウジアラビア代表を率いている。

「もちろん、この結果には失望している。しかし、フットボールとは往々にしてこのような結果になるものだ。(中略)私はベストを尽くしたし、それは私自身の良い経験にもなった。しかし不運にも、われわれの予想とは違った結果になってしまった。私にとっても、そしてサウジアラビアの多くのファンにとっても、これは失望すべきことであった」

 会見の間、オラロイは何度となく「unfortunately(不運にも)」「disappointed(失望した)」を繰り返していた。そして、サウジアラビアに足りないものについて記者から問われると「オーガニゼーション」と即答。一般的な意味は「組織(化)、団体、構成」となるが、ここでは中長期的な視野に立った強化プランや環境整備と解釈するのが妥当であろう。

 ちなみに、彼の前任者であるスペイン人監督、フアン・ラモン・ロペス・カロが解任されるきっかけとなったのは、昨年11月に開催されたガルフカップである。湾岸諸国が覇を競うこの大会は、当事者たちにはある意味、アジアカップ以上に重視される大会であり、この大会の結果でクビになった監督は数知れず。実際、グループリーグ最下位となったイラクも監督交代となっているが、サウジアラビアはこの大会で準優勝しているのだ。にもかかわらず、(おそらくは王族の見えと気まぐれで)監督のクビがすげ替えられたのであれば、近年の低迷ぶりもむべなるかな、である。「問題を解決するにはあまりにも時間が足りなかった」と語るオラロイ。彼の今後の指導者人生に幸あれと願うばかりだ。

 かくして、中国対オーストラリア、そして韓国対ウズベキスタンという、二つの準々決勝のカードが決まった。日本が順当にグループDを通過した場合、これらの国々と準決勝や決勝で対戦する可能性がある。開幕から10日を過ぎて、ようやく連覇に向けたライバルたちの姿が明確に見えてきた。22日から始まる決勝トーナメントに思いを馳せつつも、まずは20日にここメルボルンで行われる対ヨルダン戦に、われわれ取材者も気持ちを集中させることにしたい。
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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