関塚隆と石崎信弘、邂逅する2人の指揮官 J1昇格へ、交錯するそれぞれの思い
Jリーガーの間で有名な「フィジテク」
Jリーガーの間でも有名な石崎監督(写真)の「フィジテク」。川崎時代には中村ら才能ある若手を多く起用し、チームを作ってきた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
中村は2003年に中央大学から川崎フロンターレに加入した。当時J2のチームを率いるのが、現山形監督の石崎信弘だった。プロ1年目のルーキーに、石崎のトレーニングは厳しかった。Jリーガーの間では有名な「フィジテク」の洗礼を浴びた。
「普段の練習はフィジテクと言って、フィジカルとテクニックを混ぜた基礎を全力でやる。しかも、ミスをしたら最初からやり直し、とか。フィジカルはとにかく鍛えてもらったし、試合にもほとんど使ってもらいました」
背番号26をつけた攻撃的MFは、開幕戦からベンチ入りを果たした。才能ある若手を積極的に起用する石崎のチーム作りと、中村が秘める可能性がシンクロしたのである。
「途中交代とか途中出場が多かったんですけど、全試合ベンチに入れてもらって。イシさんのもとでプレーしたあの1年が、プロとしてやっていく土台になりました」
中村をボランチへコンバートした先見の明
中村をさらなる飛躍に導いたのが関塚監督だ。トップ下からボランチにコンバートし、ポリバレントな資質を開花させた 【(C)J.LEAGUE PHOTOS】
背番号を14に替えたプロ2年目の中村は、シーズン前のキャンプで指揮官から意外な構想を明かされる。「ボランチにコンバートするから」と告げられたのだ。
「軽い肩透かしというか、『いや、やったことないですから』みたいな感じで。いざやってみると、本当に大変で」
大学までは「ザ・トップ下みたい」にプレーしてきた中村である。相手に合わせてプレーすることの多いボランチへの戸惑いは大きかった。またディフェンスへの不安も先行した。
「でも、試合で使ってもらいながらどういうプレーをするべきか覚えていくうちに、楽しくてしょうがなくなって。しっかりディフェンスができるようになったら自分のプレーの幅も広がるし、トップ下の選手はボランチにどういうプレーをしてほしいのかも分かるようになった」
持ち前のテクニックを生かすためのフィジカルを、プロ1年目で身に付けた。ボランチでもトップ下でもプレーできるポリバレントな資質を、プロ2年目に開花させた。のちに日本サッカーをけん引していくことになる男のキャリアに、石崎と関塚は深く関わっている。