“1億ドルの男”松坂大輔の静かなる帰国 重圧を背負って歩み続けた8年間
ひっそりと打ち切られる映画のような終幕
日本復帰が確定的な松坂。“1億ドルの男”と騒がれたメジャー入りと異なり、米国での報道は静かなものだった 【Getty Images】
11月下旬、松坂がMLBを去ることが確定的になると、一部の米メディアにはそんな小さな見出しが躍った。それぞれの記事は、どれも簡単な略歴が添えられた短いもの。渡米時の尋常ではない騒ぎを思い返せば、“Dice−K”の米国からの去り際は比較にならないほどに静かなものになった。
2006年オフにレッドソックス入りした際の松坂を巡る喧噪(けんそう)は、今思い返しても常軌を逸していた。事前から多くの噂話が飛び交い、“ジャイロボール”の使い手だとけん伝され、レッドソックスは獲得に1億ドル(約120億円)以上(西武へのポスティングに約5100万ドル、6年契約で約5200万ドル)をつぎ込み……。
あれから早くも8年の時が流れ、松坂はもうフィクションじみた存在ではなくなった。メジャーでの最終成績は56勝43敗、防御率4.45。レッドソックスの6年に限定しても、50勝37敗、防御率4.52という見栄えのしない数字に終わった。最後の2年間はインディアンス、メッツを渡り歩く“ジャーニーマン”になったのであれば、期待の大きかった映画がひっそりと打ち切られるような終幕も仕方なかったのだろう。
性格的な真面目さがプラスに働かず
ただ……好調時でも丁寧にコーナーを突こうとし過ぎるがゆえ、球数が増えがちなのが欠点だった。08年にしても、投球回数167回2/3は18勝以上を挙げた投手の中では史上最小。メジャーでは安定してイニング数を稼ぐことが先発投手の重要な条件とされるだけに、その点で物足りなさは残った。
そして、09年以降の17勝22敗という成績は、鳴り物入りのエース候補としては期待外れとしか言いようがない。レッドソックスでの最後の4年間は故障と不振の繰り返し。首脳陣と調整方法を巡って意見が食い違い、11年には右肘のトミー・ジョン手術を受けるなど、ジリ貧のイメージばかりが残った。
「自身への期待の大きさを理解していたのは明らかで、どうしても成功したいという気持ちがこちらにも伝わってきた。ただ、そんな思いが余計なプレッシャーになってしまったように見えたな」
ボストンのある地元記者がそう話してくれたことがあった。その言葉が示唆する通り、確かに松坂元来の性格的な真面目さは、メジャーでは必ずしもプラスには働かなかったようにも思えてくる。
個人的に親しいわけではない筆者のような記者の質問にも、適当な答えは返さず、一生懸命に考え、本当に思っていることを言葉にしようとする。当たり前に聞こえるかもしれないが、選手とメディアのやり取りにおいては必ずしもそうではない。さまざまな意味でタフなMLBでは切り替えが重要だが、責任感の強い松坂は割り切りのうまいタイプではなかった。
もっとレイドバックした(のんびりとした)性格であれば、ファン、メディアの厳しいボストンでも必要以上の重圧を自身に課すことはなかったのではないか? もともと素質は誰もが認めるものがあるのだから、もっとのびのび投げれば、より良い結果が出たのではないか……?