奥大介、努力家の神出鬼没なアタッカー 磐田・横浜を支えた名手の足跡を振り返る

元川悦子

横浜FMへ移籍、岡田監督に出会う

移籍した横浜FMでは岡田武史監督(右)に師事。03・04年のJリーグ連覇に貢献した 【写真:アフロスポーツ】

 02年W杯イヤーを迎え、奥は8シーズンを過ごした磐田を離れ、横浜F・マリノスへ移籍する。新たにチームメートになった中村俊輔、中澤佑二とともに日韓大会の代表からは落選を余儀なくされたが、横浜移籍が彼自身の大きなステップアップにつながったのは間違いない。

 とりわけ、岡田武史監督が就任した03年以降の進化は目覚ましいものがあった。04年には自身2度目のシーズン2ケタ得点(10点)をマークするなど、奥の変貌ぶりは誰もが認めるところだった。

 岡田監督の下でフィジカルコーチを務めていた池田誠剛氏(前韓国代表フィジカルコーチ)は、こんな逸話を披露してくれた。

「当時のマリノスの選手たちは個々の力が高いのに、どこか一体感に欠けていました。四隅にコーンが置いてあるピッチをランニングをさせても、本来は外側を回るべきなのに、彼らは必ずと言っていいほど内側を回っていた。岡田さんがそういう細かい部分を見逃さずに指摘し、改善を促したことで、松田や奥といった主力選手たちの意識が目に見えて変化していきました。奥という選手は、パワーやスピードには長けているのに乳酸が溜まりやすく、疲労回復が遅れてしまう速筋繊維タイプのアタッカーでした。そこで疲労回復効果を高め、持久系能力を引き上げるために、練習後にゆっくりしたスピードで約20分間走るようにアドバイスしたんです。彼はものすごい努力家で、このトレーニングを毎日欠かさず真面目に取り組んでくれました。その成果が出て、走力も確実にアップした。03・04年のマリノスのJリーグ2連覇の原動力として献身的に働いてくれたと思います」

31歳という若さで引退を決断

07年に横浜FCへ移籍。その後31歳の若さで現役を引退した 【写真:中西祐介/アフロスポーツ】

 横浜での活躍が認められ、一時は遠ざかっていた当時のジーコ監督率いる日本代表にも再抜てきされるようになった。03年にはコンフェデレーションズカップ(フランス)や東アジア選手権(日本)にも名を連ねた。04年1月に行われた鹿島での代表合宿中に犯した規律違反が引き金になって、その後は日の丸をつける機会から遠ざかり、最終的に06年ドイツW杯出場も果たせなかった。それでも、98〜04年の足掛け7年間も代表で戦い、国際Aマッチ26試合出場2得点という実績を築き上げたことは特筆すべき点ではないだろうか。

 マリノスの2連覇達成からわずか3年後の07年末。この年に横浜FCへ移籍して1シーズンを過ごしただけで、奥はクラブ側の慰留にもかかわらず現役を引退する。当時まだ31歳という若さで、プレーヤーとして十分ピッチに立ち続けられる年齢だっただけに、その決断は惜しまれた。同世代の中田、福西も早い段階で引退しており、彼らアトランタ五輪世代は「太く短く」という価値観がどこかにあったのかもしれない。

 こうした生きざまに賛否両論はあるかもしれないが、J1出場280試合・62得点、Jリーグ年間王者4回という実績はリスペクトされるべきもの。173センチと決して大柄ではなかったが、パスにもシュートにも長けたテクニシャンで、主役にも黒子にもなれる多彩さを兼ね備えた名アタッカーのことを、われわれは今一度、脳裏に刻みつけたいものだ。

 奥大介さんの38歳という若すぎる死に、心よりお悔やみ申し上げるとともに、ご冥福をお祈りしたい。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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