韓国戦で感じた確かな手応えと未熟さ 求められるタフに戦う体力とベースアップ

川端暁彦

粘り強い守りを見せたがPKに泣く

PKを与えてしまった大島(中央)だが、そのアグレッシブな守備がなければ、もっと早い時間帯に失点していただろう 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】

 後半41分、少々唐突に鳴り響いた笛の音が、U−21日本代表の仁川での冒険に終幕を告げることとなった。

「自分の責任です」

 試合後、そう繰り返すことになった168センチ・64キロの大島僚太(川崎フロンターレ)がルーズボールを競りに行くと、180センチ・77キロの屈強な肉体を持つイ・ジョンホはあっけなく倒れ、無情のPK宣告が行われた。これも「勝利への執着心」と形容すべきなのだろうか。あからさまなPK狙いのプレーだったが、判定が覆ることはない。元FC東京の韓国主将、DFチャン・ヒョンスがたたき込んだPKは、この試合唯一の得点となった。

 この試合、日本の粘り強い守りは特筆に値するレベルだった。一人がミスをしても、別の誰かが最後には体を投げ出してゴールの中へボールが入っていくことを許さない。「後ろに対してコンパクトにするというところはしっかりできた」とMF遠藤航(湘南ベルマーレ)が振り返ったように、ディフェンスラインを低い位置に構えた時間帯も中盤がしっかり戻ってスペースを消し、韓国の攻撃力を削り取ることには成功していた。岩波拓也(ヴィッセル神戸)、植田直通(鹿島アントラーズ)の両センターバックは空中戦で勝ち続け、韓国が得意とするハイボールからのラッシュを許さなかったことも大きい。劣勢ではあっても、決して敗勢の試合ではなかった。

 そもそも劣勢は想定内だった。2年後のリオ五輪を見据えて21歳以下の選手たちでチームを固め、さらにJリーグ開催期間中ということで「1クラブ原則1名」と選手選考で手倉森誠監督を縛った上で臨んだ大会だった。欧州組を含めて23歳以下の選手たちに加え、オーバーエイジ3名もエントリーしていた韓国とは純粋に戦力面で差があったのは否めない。その上で「負けても仕方ない」となるのではなく、「どうやって勝つのか」を模索してきた。

きれいなサッカーにこだわらず割り切る

 一つは「割り切り」。戦力的に優る相手に対して、終始ボールを支配して「自分たちのサッカー」を貫くことは難しい。ならば、ボールを捨てる時間があっても、そこは我慢して守って隠忍自重(いんにんじちょう)して相手のスキを待つ。理想の高い若い選手たちにとって一つの課題だったが、この韓国戦はまさにそれを実践した戦いとなった。

「タフに戦う覚悟というのを、この世代の選手たちが示してくれたのは非常に頼もしく思います。どうしてもきれいにサッカーをやりたいと思っていた連中が、体を張って顔面でもクリアするという辺りを出してくれた。これから世界へ打って出るときに、強豪国ではない日本にとって一番大事なベースの部分だと思う」

 手倉森監督はこの試合の収穫をそんな言葉で表現した。PKを取られた大島の守備もまた、アグレッシブに体を張って守った結果だ。「何としても守ってやる」という気持ちをギリギリの局面で表現していたことは、むしろ大島の成長の表れではないかとも思う。「軽率だった」「もっと巧妙に守れば良かった」と腐すのは簡単なのだが、しかし90分近くを戦い抜いたあの場面で自分より大きな選手に対して向かっていった姿勢と、仲間のために体を張ってゴールを死守しようとしたそのマインドは評価してあげたい気持ちがある。

 あの時間の、あのワンプレーが勝敗を分けたのは確かに事実で、大島にとっては大きな悔いを残すプレーだったのも確かだが、あそこで猛然とボールへ競りに行ったあの心意気がなければ、この試合はもっと早い時間に失点して、早々に決着していたに違いない。それもまた一つの事実だろう。

前半はベストに近い内容

 4万人の大観衆を飲み込んだ文鶴(ムナク)競技場。「浦和(レッズ)より声量がすごかった」という最上級の言葉でそのムードを形容したのはMF矢島慎也(浦和)だった。「テーハーミング(大韓民国)」の大音声がこだまする環境は独特であったが、同時に得難い経験を選手たちにもたらしてもいた。「3試合分くらいの経験」と指揮官が形容したように、アウェーの雰囲気、日韓戦が持つ特別な空気感というのを若い選手たちは立ち上がりから大いに体感した。

 その上で、前半は想定した中ではベストに近い内容だった。「意外につなげた」と選手たちが口をそろえたように、この雰囲気の中で平常心を失っていたのはむしろ韓国のほうだった。ウォーミングアップの段階からその「硬さ」は明らかだったが、試合が始まってからも細かいミスを連発。試合の流れを作れずに苦しんでいた。

 一方、FW野津田岳人(サンフレッチェ広島)ら日本のアタッカー陣はガツガツとした姿勢を崩さず、守備でどん欲なトライを継続。攻撃でも5分に矢島が、33分に遠藤が、そして43分には野津田が、それぞれ好機を迎えてもいる。主導権を握るとまではいかずとも、主導権を渡さぬ戦いはできていた。「前半は結構自分たちもボールを握れて、間(あいだ)、間で受けながらということもできていた」と、矢島は振り返る。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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