韓国戦で感じた確かな手応えと未熟さ 求められるタフに戦う体力とベースアップ
後半は勝負に出るもガス欠
終盤にガス欠を起こしたのは、Jリーグで90分間プレーしていなかった選手たち。矢島(黄色)も足がつり、交代を余儀なくされた 【写真:長田洋平/アフロスポーツ】
日本も座して死を待ったわけではない。むしろ狙いは肉を切らせて骨を断つ。後半19分には野津田を下げて、FW荒野拓馬(コンサドーレ札幌)をピッチへ送り出す。鈴木武蔵(アルビレックス新潟)との2トップに切り替えて前線からの圧力を高めると同時に、1点を奪いに行く。孤立していた鈴木にとっても荒野の「来援」は大きな福音で、まさに勝負へ出た時間帯だった。
だがそれも15分足らずのことだった。後半30分過ぎに体力が尽きて足がつってしまった矢島を諦め、日本ベンチはMF原川力(愛媛FC)を投入。ボールを動かす能力に長ける司令塔タイプの原川を入れてフォーメーションを4−3−3へ変更。一発を狙う形から、劣勢だったボール支配率を改善する方向へ舵を切り直した。手倉森監督は試合後、「延長もある」という判断からだったことを明かしている。
支配率の改善は結果としてうまく起こせず、孤軍奮闘していた鈴木もガス欠が顕著となって、結局は冒頭のPKのシーンへと至ることになる。だが、ここで浮かび上がった問題点は指揮官の用兵ではあるまい。
U−19年代を含めた新たな競争が始まる
最初に交代となった野津田が今季リーグ戦でフル出場したのはわずかに1試合で、続いて交代となった矢島に至ってはリーグ戦には1分たりとも出場していない。最後の一人、鈴木もまた、フル出場のリーグ戦はたった2試合だった。その弊害が、最終的に用兵の幅を狭めてしまっていた。
「(浦和で)試合に出られるのがいいんですけれど、それがダメなら自分で試行錯誤しながらもっと良くなるようにしないといけない」。矢島は悔しさをかみ締めるように、そう話した。
試合後、手倉森監督は「こういうゲームがしたかった」と選手に語り掛けたという。来年から始まる五輪予選、そして2年後の五輪本大会を見据えたときに、個々の選手が自らの未熟さを自覚できる。そんなゲームだったということだろう。
アジア大会の男子サッカー競技における戦いはこれで終幕となったが、リオ五輪を見据えた戦いはここからが本番。次からはU−19年代の選手たちも招集し、真のベストメンバーを模索する新たな競争も始まっていく。その上で個々がもうワンランクのベースアップを図っていけるか。その挑戦は五輪のみならず、日本サッカーの次代を占うものともなる。