捕手の矜持を貫いた里崎智也の野球人生、満身創痍の体……決断した現役引退

週刊ベースボールONLINE

里崎不在の大きさが分かった今季

5月7日のオリックス戦(京セラドーム)では左ヒザの痛みをおしてチームを勝利に導いた。その日をラストに長期欠場を余儀なくされた 【写真=高塩隆】

 野球のポジションの中で唯一、ファウルグラウンドに位置し、マスク越しに残りの8人を見守っていると、自然とチーム全体のことを考えるようになっていった。リードの基本は「チームを勝たせること」。そのために投手の良いところを引き出す配球を心掛ける。結果的に投手に勝ちが付き、チームも白星を手にするという。 

 長年培われてきた巧みなリードは他球団も警戒する。里崎が戦線離脱後、出る投手、出る投手が打たれて大敗を喫した試合がある。その試合を視察していたパ・リーグのあるスコアラーは言った。

「里崎がいないのが痛いね。ああいう状況になると、投手は誰が出て行っても同じ。捕手がいろいろな配球を考えても、なぜか打者はタイミングが合ってしまう。発想の転換ではないが、緩いボールを何球も続けるようなことをしないと、打開できない。今のロッテでそれができるのは彼だけ」

 里崎の抜けた穴の大きさが分かった試合だった。

 ベテランの領域に入った現在も配球は難しいと悩む。「僕のサインが絶対ではない。若手、ベテランに関係なく、違うと思ったら首を振ってくれて構わない。その場面で投手がどういう考えをしているのか分かるし、それは次回以降にも生きてくる」と話す。

 だが、自分のことしか考えていないような場合は、厳しい言葉で叱責することも。それで若手から疎まれることもあるが、「チームが勝てればそれでいい」との根幹に揺ぎはない。

決意した引退「悔いは全くない」

 年々迫り来る「引退」の2文字。プロ入りした選手にとって、絶対に避けては通れない道である事実に対し、里崎は「あと何年野球をやれるか、分からない。中日の谷繁さん(元信=選手兼任監督)のように、誰でも長くやれるわけではない。僕はいつ辞めてもいいように、悔いのないように、毎日を精いっぱいやってきた」と語っていたが、ここ数年は、肩、ヒジ、背中、ヒザと次々に故障を抱えた。「歳を取るとなかなか治らない」と漏らすこともあった。

 プロ16年目、38歳になった今季は近年では最少の試合数にとどまっている。12年に四国アイランドリーグ・愛媛を最後に引退した橋本は「里崎には1年でも長く野球をやってほしい」とエールを送っていたが、9月11日、ついに現役引退を決断した。
 里崎は11日、球団を通して「今季限りでの現役引退を決断いたしました。マリーンズで日本一に2度、WBCにて日本代表として世界一になることもできました。自分の野球人生を振り返って本当に満足しています。悔いは全くありません」とこれまでの野球人生を振り返り、「16年間、本当にありがとうございました」と感謝の言葉で結んだ。

 チームの功労者がまた一人、静かにユニホームを脱ぐ。

(文=石川悟)

里崎 智也(さとざき ともや)

1976年5月20日生まれ。徳島県出身。175センチ・94キロ。右投右打。鳴門工高から帝京大を経て、98年ドラフト2位でロッテに入団。2年目の2000年に1軍出場を果たすと、次第に出場機会を増やし、05年の日本一、06年のWBC優勝に貢献。以降は不動の正捕手としてチームの中心に。10年にもリーグ3位からの下克上日本一をけん引した。

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