「黄金時代」から遠く離れて=J2・J3漫遊記 ジュビロ磐田<前編>

宇都宮徹壱

楽勝ムードを一変させた「集中力と闘争心の欠如」

後半に3得点を挙げて楽勝ムードの磐田。しかし終盤に立て続けに2失点を喫する 【宇都宮徹壱】

 圧倒的な戦力差だと思った。そしてJ2に降格したとはいえ、さすがに名門クラブだとも思った。少なくとも後半36分までは──。

 J2リーグ第27節、ジュビロ磐田対カターレ富山。この時点で磐田はリーグ3位、対する富山は22位、すなわち最下位である。前半は相手の固い守備ブロックに沈黙を強いられた磐田だが、コンディション不調の松井大輔に替えてチンガを投入した後半は一気に攻撃が活性化した。後半3分、左サイドから小林祐希が放ったクロスに、前線の前田遼一がシュート。いったんは相手DFに阻まれるも、山崎亮平がすかさず頭で押し込んで先制点を挙げる。後半20分にはチンガの豪快なミドルシュートが決まり、さらに36分にはペク・ソンドンのラストパスを前田が右足でネットを揺らして3−0とする。

 この時、ヤマハスタジアムのゴール裏は、明らかに楽観ムードにあふれていた。直近の5試合で1勝1分け3敗。気がつけば2位松本山雅FCとの勝ち点差は7ポイントにまで広がってしまった。残り15試合。あくまで無条件でのJ1昇格を目指すなら、ここから先はひとつも取りこぼすことなく、得失点差も積み重ねておく必要がある。幸い、この富山戦は、何とか無失点のまま勝ち点3を加えられることができそうだ……。しかし彼らの楽観は、またたく間に危機感へと変貌してゆく。富山は途中出場の木本敬介と苔口卓也が、後半39分と43分に連続ゴール。流れは一気にアウェーチームに傾いた。

 結局、4分のアディショナルタイムをしのぎ切った磐田が3−2で勝利。しかし、磐田の選手たちがゴール裏にあいさつに向かうと、サポーターの反応は拍手が4割、ブーイングが6割という反応を示した。終盤の余計な2失点が、ネガティブな反応を呼び起こしたことは間違いない。磐田のシャムスカ監督は、その原因について「集中力と闘争心の欠如」があったことを認めた上で、こう語っている。

「自信が過信になったところが見受けられた。今日の湿度の高さがプレーに影響していた部分もあったが、相手も同じ状況で戦っているのだから言い訳にはならない。やはりメンタル面での不安定さに課題があったのかなと思っている」

黄金時代をめぐるゴール裏の世代間ギャップ

ヤマハスタジアムに展示されているトロフィーの数々。最後にリーグ優勝したのは02年 【宇都宮徹壱】

「集中力と闘争心の欠如」と「メンタル面での不安定さ」。磐田の黄金時代を知る者にとっては、いささか寂しい話であると同時に、かつての名門クラブがJ2で苦しんでいる現実を今さらながらに突きつけられる指摘である。よそ者の私でさえそう思うのだから、往時を知るサポーターの想いはいかばかりであろうか。しかし、磐田を20年以上応援している古参サポーターは、意外なことを教えてくれた。

「あの富山戦でブーイングしていたのは、実はほとんどが黄金時代を知らない世代だったんですね。俺らみたいに昔からいるコアサポは、今は『内容よりも結果が大事』という共通認識があるし、次の湘南(ベルマーレ)との上位対決に向けて、選手の気持ちを高めていきたいという想いもあったから拍手で迎えたわけです。でも、昔を知らない子たちは『ウチは勝って当たり前』みたいに思っているところがあるから、ふがいないと思ってブーイングする。気持ちは分かるけど、もっと現実を見ないとね(笑)」

 証言として興味深い。栄光の時代を知る世代は低迷期の現実を直視し、逆に過去を知らない世代は「伝聞としての黄金時代」を引きずっている。この、何とも屈折したゴール裏の構図こそ、ジュビロ磐田という名門クラブの現状を如実に示していた。そして、今回のJ2・J3漫遊記の取材先に磐田を選んだ理由は、まさにそこにあったと言ってよい。

 磐田といえば、久しくリーグタイトルから遠ざかっているものの(最後の優勝は2002年)、昨シーズンは前田、駒野友一、伊野波雅彦といった現役日本代表をずらりとそろえ、それなりに対戦相手からリスペクトされる存在であった。しかし第5節で1勝もできずに17位に沈んで以降、2度と降格圏内を脱することなく、第31節のアウェーのサガン鳥栖戦(0−1)で早々にJ2降格が決定。その間、森下仁志監督が5月4日に解任され、長澤徹ヘッドコーチの監督代行を経て、前U−23日本代表の関塚隆を新監督に迎えるも、一度狂った歯車を元に戻すことは叶わなかった。終わってみれば、4勝11分け19敗の17位。かつての輝きは、見る影もなかった。

 磐田の降格については、得点源である前田の不振、不慣れな3バックの採用による守備の崩壊、適切な補強ができなかったことなど、さまざまな指摘がなされている。また、クラブの低迷の予兆はそれ以前からあり、責任企業であるヤマハの体質を問題視する声をあちこちで耳にした。とはいえ今回の取材の目的は、降格の責任の所在を追求することではない。かつての名門の現在地と、復活に向けた胎動を探っていくことが、主目的である。となると、最初に話を聞くべき人物は、あの男しかないだろう。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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