新潟2歳Sのタッチ・アンド・ゴー馬券=乗峯栄一の「競馬巴投げ!第80回」
米軍のタッチ・アンド・ゴー訓練はなぜ必要?
[写真1]ダービー馬ワンアンドオンリー、神戸新聞杯に向けて調整は順調 【写真:乗峯栄一】
大体なんでこんな訓練をする必要があるのか。
「着陸するなら着陸、離陸するなら離陸、あんたハッキリしなさいよ、こっちが折角その気になってきてんのに、すぐに失礼しますとか言ってまたすぐ飛び上がりやがって、ごめんなさいだけ言ってすぐ失礼するんなら、着陸なんかするんじゃねえ」とぼくなど何度ナジられたか分からない。
調べてみると、空母艦載機というのは甲板のワイヤーを機体後部のフックにひっかけて止まるのだが、特に夜間はこれに失敗することが多い。その場合「あっちゃー、失敗」と言ってそのまま海に落ちる訳にはいかない。フックに失敗したときはすぐさま飛び上がって再チャレンジするというのが、パイロットも高価な機体も守るために大変重要な責務らしい。
ということで、着陸・緊急上昇(タッチ・アンド・ゴー)の練習というのは空母艦載機パイロットにとって必須らしい。湾岸戦争時、米軍司令官は「3千回以上の空母機出撃を必要とした戦争に勝利したのは厚木訓練のおかげだ」と言ったという。
「今の馬券は買わなかったことにする」
[写真2]橋口厩舎の2年連続ダービー制覇を祈念して、新潟2歳Sはナヴィオンから行く! 【写真:乗峯栄一】
軍事訓練というのはいかに効率よく敵を攻撃するか、またはいかにうまく身を守るかに専念しているイメージがある。「失敗したらどうするの?」と聞くのは愚問で、「失敗? 我々の辞書に失敗という言葉はない。それでも万が一失敗したら? そこまで聞くのか。そのときは死を待つのみだ」という答えが待っているような気がする。
しかし実際は失敗想定の訓練を日夜繰り返していて、これが勝利への原動力だと言っているのだ。
たとえば夏競馬ピークの札幌記念。「ゴールドシップもハープスターも強いけれど、この馬たちは秋の本番に向けて試運転という気がどこかにあるはすだ。“2強そろって”ということはないのではないか、どちらかがウッカリしてしまうだろう」などと考えて、パイロットは空母の短い滑走路を上空から眺めて溜息をつく。それでも着艦しない訳にはいかない。
「えーい、しょうがない!」と意を決して、ラブイズブーシェから2強へ流すという卑屈な作戦のもと、艦載機パイロットは着艦レバーを引く。
逆噴射スイッチを入れるとガシッとした手応えがあった。「よし、甲板のワイヤー引っかけた」とコックピットでガッツポーズしたとき、ラブイズブーシェの追い脚がピタリと止まる。
「いけない、ラブイズブーシェのワイヤーが外れてる」と悲鳴を上げて、しかしここまではよくあることだ。
これまでの我々は、このとき「あわわ、2秒前のゴール板にしてくれー」などと意味不明のことを喚き、何の策もなく海に落ちていた。練習が足らないのだ。
かねて鍛錬を重ねてきた者なら、こういうときは「よくあることだ」と静かにレバーを押し上げて緊急上昇、「今の馬券は買わなかったことにする」と轟音立てるのだ。
「あいつ、何事もなかったように上昇してる。訓練積んでるんだなあ。え? あいつ、湾岸戦争の英雄? なるほどなあ」
周りの競馬オジサンたちが上空を見上げて溜息をつく。失敗したことより、失敗に沈着に対処することを賞賛される(アメリカ海兵隊ならそうだ)、そういう競馬人にならねばならない。