ラウルとプジョルが歩んだ対照的な道 スペインの歴史に刻まれる2人の伝説

木村浩嗣

引退した2人の“象徴”

対照的なキャリアを歩んだラウル(左)とプジョル。スペインの象徴として刻んだ軌跡を振り返る 【Getty Images】

 今夏、バルセロナの象徴カルレス・プジョル(36歳)とレアル・マドリーの象徴ラウル・ゴンサレス(37歳)の引退が重なったのは偶然だった。一方は右膝の傷で現役続行を断念せざるを得ず、もう一方はレアル・マドリーを経てシャルケ04、アル・サッドでやり残したことはないと決断した。プジョルはスポーツディレクター、アンドニ・スビサレッタのアシスタントとして、ラウルの方はコーチライセンス取得後に下部組織の監督として共にクラブに残るようだ。

 スパイクを脱いだ時期も、愛するクラブでセカンドキャリアをスタートする点でも同じだが、2人は対照的な選手であり歩んだ道も大きく異なっていた。

「今季終了後にバルセロナを出て行く」

 3月4日、目を赤くしたプジョルが、会長や主力選手の他、反会長派のヨハン・クライフ、レアル・マドリー出身のカマーチョとフェルナンド・イエロらの前で発表。「君以上のプロ意識にあふれた選手は知らない。君はバルセロナの宝だ。ありがとう」と送り出したシャビが泣き出したというニュースを、「心残りはお別れができなかったこと」と語るラウルはどんな気持ちで見たのだろうか。

晩年は不遇だったラウル

レアル・マドリーでの晩年は不遇を強いられたラウル。シャルケに新天地を求め、ドイツでも多くのゴールを決めた 【写真:ロイター/アフロ】

 2010年6月シャルケに移籍したラウルのお別れ会見は開かれなかった。「われわれに与えてくれた素晴らしい年月に感謝したい」というフロレンティーノ・ペレス会長の賛辞が捧げられただけだ。生涯一クラブを貫き惜しまれて去ったプジョルに比べ、レアル・マドリーでのラウルの晩年は不遇だった。全盛期のラウルはわれわれの想像を超える発想力が持ち味だった。ゴールパターンの豊富さも素晴らしかったのだが、特に彼らしかったのが意表を突くスルー。シュートを打つと誰もが思った瞬間ラウルはひらりと身を翻してボールをまたぎ、もっと有利な状況にいる味方をフリーにする。レアル・マドリーの最多得点記録(323)、チャンピオンズリーグ(CL)の最多得点記録(71)保持者にして、ゴールゲッター特有のエゴイスティックなところのない選手だった。

 では、何で得点を稼いだかというと、それは彼の献身的な動きだった。「ゴールの嗅覚」が優れていると一時盛んに言われたが、ボールが転がって来る場所にいる能力というのは超能力でも何もなく、ゴール前に詰める忠実なプレーの結果だった。もちろん、状況判断力がズバ抜けていたというのはあるのだろうが、普通の選手が諦めて足を止める場面でも、万が一のミスの可能性を信じて彼は走ることを止めなかった。

 この献身性がレアル・マドリーでの晩年は「無駄走り」と呼ばれて、しばしば冷笑の対象となった。無駄に走っていたのではなく、走ったことが無駄に終わっただけなのに。ラウルは同僚だったジネディーヌ・ジダン、ロナウド、ルイス・フィーゴのように個人で状況を打開できる選手ではなく、周りを使い、使われることで生きる選手だった。だからチームの低迷はそのままラウルの低迷となった。04−05シーズンから06−07シーズンは気まぐれな天才集団、銀河系軍団の犠牲となって守備の負担が増加するとゴール数が激減。その後2シーズンは盛り返すも、ジョゼ・モウリーニョ監督就任でクリスティアーノ・ロナウドを中心とした高速カウンターが武器になることが予見されると、走力に衰えが見えたラウルはシャルケに新天地を見いだすことを決意する。

伝説化しているプジョルのブロック

 逆にキャリアの初めに失笑を経験したのが、プジョルだった。目立つもじゃもじゃ頭、足は速かったがどたどたとした走り方でパスミスも多かった。彼のスマートとは正反対のプレーに高尚なカンプノウ(バルセロナの本拠地)のお客さんから笑いが漏れていたのをよく覚えている。この99年のデビュー時、細身のテクニシャンであるクライフ、ジョゼップ・グアルディオラと続くバルセロナの象徴の座が、泥だらけのユニホームを誇りとする守備の選手に引き継がれるとは誰も思っていなかった。しかし、FWのラウルとは違いセンターバック(CB)のプジョルには、当時から03−04シーズンのラポルタ会長就任までのチーム低迷期が、活躍の場を増やすという意味では幸いしたように思う。

 その典型的なシーンが、バルセロニスタ(バルセロナファン)が彼を認めるようになった、2002年10月23日のCL、ロコモティフ・モスクワ戦でのプレーである。空っぽのゴールに立ちはだかったプジョルは、放たれた相手のシュートを右胸ではじき出した。ボールが当たったのがちょうどクラブの紋章が縫い込まれている部分で、エンブレムがゴールを防いだとしてバルセロナのファンの間では伝説化されている。せっかくこうして勝ち上がったCLでチームは準々決勝で敗退しているのだが、そんなことは今、誰も気にしていない。

怒り狂う敵地の大観衆に「黙れ」のポーズ

 一方、ラウルの最も有名なアクションは1999年10月3日、カンプノウでのクラシコで見ることができた。彼の先制ゴール後、バルセロナが逆転し、2‐1で試合を終わるかに思われた時、スルーパスに反応したラウルが2人のCBの間から飛び出し、GKの飛び出しを浮かせたボールでかわして生まれたゴールだった。クリアしようとスライディングするバルセロナの選手をあざわらうかのようにゆっくりとボールが転がり込むと、マドリディスタ(レアル・マドリーのファン)に語り継がれる伝説のゴールパフォーマンスが生まれた。22歳のラウルは怒り狂う敵地の大観衆に向かって口に手を当てて「黙れ」のポーズをして疾走したのだ。

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著者プロフィール

元『月刊フットボリスタ』編集長。スペイン・セビージャ在住。1994年に渡西、2006年までサラマンカに滞在。98、99年スペインサッカー連盟公認監督ライセンス(レベル1、2)を取得し8シーズン少年チームを指導。06年8月に帰国し、海外サッカー週刊誌(当時)『footballista』編集長に就任。08年12月に再びスペインへ渡り2015年7月まで“海外在住編集長&特派員”となる。現在はフリー。セビージャ市内のサッカースクールで指導中。著書に17年2月発売の最新刊『footballista主義2』の他、『footballista主義』、訳書に『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』『モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」』『サッカー代理人ジョルジュ・メンデス』『シメオネ超効果』『グアルディオラ総論』(いずれもソル・メディア)がある

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