ラウルとプジョルが歩んだ対照的な道 スペインの歴史に刻まれる2人の伝説

木村浩嗣

もしブラジルW杯にプジョルがいれば

声を張り上げ、チームを鼓舞するプジョル。もし彼がいればブラジルW杯でスペインが早期敗退することはなかったかもしれない 【写真:なかしまだいすけ/アフロ】

 キャプテンシーという意味でもラウルとプジョルは対照的な選手だった。プジョルがコメントやプレー以外のところで影響力を発揮できる選手だったのに対し、ラウルはあくまでプレーでしかチームを鼓舞できなかった。

 例えば今年の7月のプジョルのコメント、「スアレスの行為を正当化できない。ただプレー中は尋常ではない興奮状態にある」は、ルイス・スアレスの一件についてのクラブの公式発言化した。フロントも選手もこのコメントの価値観に従って、スアレスを評価すべき、という規準を示したのだ。ダーティーなイメージのあるスアレス獲得についてはクラブ内外に疑問の声が上がっているが、プジョルの“悪いものは悪いが弁解の余地はある”という立ち位置は、それらの声を鎮静化させた。

 プジョルはフロントの一員になったからといって、クラブの方針に全面賛成するような男ではない。例えば11−12シーズン、4月29日のラージョ・バジェカーノ戦で得点したチアゴ・アルカンタラは、アシスト役のダニエウ・アウベスとともに変てこな踊りのゴールパフォーマンスをしたが、それを見て血相を変えたのがプジョルだった。彼は2人の間に割って入り、相手チームとファンに失礼だ、と叱りつけたのだった。

 12‐13シーズンのスペイン国王杯でのクラシコでは、スタンドから投げ付けられたライターをジェラール・ピケが拾い、審判へ見せようとしていたのをプジョルがもぎ取って捨て、プレーを続行したことがあった。不毛なアピール合戦を避け、グラウンド上で決着を付けようとする、スポーツマンらしい潔い行動だった。

 もしワールドカップ・ブラジル大会にプジョルがいれば、バルセロナの選手とレアル・マドリーの選手に亀裂が入るのを避けられ、代表は好成績を残すことができたかもしれない。

1度だけ反旗を翻したラウル

 ラウルの発言には優等生的なものがほとんどだった。「頑張ります」というのは誰も傷つけることはなかったが、オピニオンリーダーとしてチームを導くこともなかった。レアル・マドリーの現キャプテンのイケル・カシージャス同様、サッカー選手はグラウンド上のプレーがすべて、と考えていたからだろう。

 そんなラウルが1度だけ反旗を翻したことがある。03年6月、同シーズンのリーグ優勝セレモニーをビセンテ・デル・ボスケ監督の冷遇などの理由を掲げ、当時キャプテンのイエロとともにボイコットしたのである。が、結果はイエロ、デル・ボスケともに契約更改されず、という厳しいものだった。デル・ボスケはあれ以来、レアル・マドリーと袂を分かち、イエロは今季からカルロ・アンチェロッティの助監督に就任するまで、クラブの門をくぐることはなかった。ラウルは残留したもののペレス会長の不興を買い、銀河系プロジェクトでは一貫して脇役の道を歩かされるようになったのだった。

スペインサッカー界における2人の立ち位置

 スペイン代表での最後も対照的だった。ヒーローとしてスポットライトを当てられることはなかったが、ユーロ(欧州選手権)2008優勝、W杯・南アフリカ大会優勝の原動力となったプジョルに対し、ラウルは栄光への道を進み始める前に代表を外れている。06年9月、ユーロ2008予選の北アイルランド戦にチームが敗れると2度と招集されることはなかったのだ。

 故ルイス・アラゴネス監督の決断は国を挙げての大論争を巻き起こし、ラウルとアラゴネスは和解会見を開かざるを得なかった。そして、その後の代表の成功によって、ラウル復帰の声はかき消されていく……。仮にプジョルが外されていてもあれだけの騒動にはならなかっただろう。ここにスペインサッカー界でのラウルとプジョルの重要度の差が象徴的に表れている。

最高にかっこいいラウルの姿

 さて、こう改めてプジョルとラウルの軌跡を振り返ると、ラウルにネガティブなことを書き過ぎたかもしれない。最後に、私が目撃した最高にかっこいいラウルの姿を紹介しておこう。

 11年2月、CLのバレンシアvs.シャルケ。バレンシアのホーム、メスタージャスタジアムでのことだった。この試合で同点ゴールを挙げた彼はレアル・マドリー出身ということで大ブーイングを浴び続けたのだが、試合の終盤にCKになるとボールを受け取ってショートコーナーによって時間を浪費させようと試み、さらなる罵声を浴びた。物が投げられる中で平然とコーナーに歩み寄り、汚れ役を買って出て若いチームメイトに試合の終わらせ方を教える。優等生のイメージを拭い去る泥くさいアクション、この勝負への執着心とプロ意識には痺れた。あの試合は私が彼を生で見た最後となった。「ああ、こういうラウルを最後に見ることができて良かった」と今、思うのだ。

2/2ページ

著者プロフィール

元『月刊フットボリスタ』編集長。スペイン・セビージャ在住。1994年に渡西、2006年までサラマンカに滞在。98、99年スペインサッカー連盟公認監督ライセンス(レベル1、2)を取得し8シーズン少年チームを指導。06年8月に帰国し、海外サッカー週刊誌(当時)『footballista』編集長に就任。08年12月に再びスペインへ渡り2015年7月まで“海外在住編集長&特派員”となる。現在はフリー。セビージャ市内のサッカースクールで指導中。著書に17年2月発売の最新刊『footballista主義2』の他、『footballista主義』、訳書に『ラ・ロハ スペイン代表の秘密』『モウリーニョ vs レアル・マドリー「三年戦争」』『サッカー代理人ジョルジュ・メンデス』『シメオネ超効果』『グアルディオラ総論』(いずれもソル・メディア)がある

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント