甲子園を沸かせた“ジャイアン”白根の現在=鷹詞〜たかことば〜
甲子園史に残る悲運のエース
開星高時代、「ジャイアン」の愛称で親しまれた白根。プロ3年目を迎え、実にスラッとした体格に変わった 【スポーツナビ】
ピンとこない? では「ジャイアン」と言えば思い出すだろうか。そして、あの夏の出来事も――。
あれは甲子園史上最も劇的な“エラー”だった。
2010年8月11日、大会5日目の1回戦。島根県代表・開星高は仙台育英高を1点リードして最終回2アウトを迎えていた。しかし満塁のピンチ。それでも背番号1のエースは強気の直球勝負だ。鈍い金属音。詰まった打球は平凡なセンターフライとなった。「勝った」。エースは笑顔で拳を握ると早々に打球に背を向けた。もう会心のガッツポーズを決めていた。だがその瞬間、強烈な浜風が甲子園を襲った。ほんのわずか数センチだが、打球が押し戻される。するとまさか、中堅手のグラブからボールがこぼれ落ちた。2者が生還する逆転のタイムリーエラーとなってしまったのである。天国から地獄。ドラマはまだあった。9回裏、逆に開星高が一打逆転サヨナラの場面を作った。そして左中間へ大飛球。「今度こそ、勝った」。だが、今度は仙台育英高の外野手が見事なダイビングキャッチを決める劇的過ぎる幕切れ。それが余計に開星高の悲劇を際立たせたのだった。
その悲運のエースが“ジャイアン”白根だった。当時のプロフィールでは体重98キロとあったが、「じつは105キロありました」と照れ臭そうに白状する。投げては最速149キロの「重たい」豪速球、打っては高校通算40発のパワー。あの夏はまだ2年生だったが、すでにエース&主砲として多くの注目を集めていた。また、巨漢に加えて、見方によってはふてぶてしい面構え。あの問題のシーン。ゲームセットの前に大喜びしてしまった心の隙は確かに褒められたことではないが、そんな風貌も重なってか、当時同情の声は少なかったように感じる。
ジャイアンの面影がなくなったプロ入り後
高校野球ファンの間で今でも話題になる、開星対仙台育英の一戦で主役の一人だった白根 【写真は共同】
白根もああ見えてじつは繊細な男なのだ。現在は甲子園当時よりずいぶん痩せた印象ではあるが、プロ1年目はもっと別人。“ガリガリ”だった。それは決してオーバーな表現ではない。
プロ野球生活の始まりは苦行僧のような毎日だった。11年のドラフト4位でソフトバンク入り。だが、ユニホームに袖を通すキャンプインよりも前の1月、右肘の故障が判明し手術を受けた。復帰に1年以上を要する、いわゆる「トミー・ジョン手術」だった。プロ1年目はファームでの出場実績もない。ひたすらリハビリの日々だった。
リハビリだから、決してハードな練習ではないはずだ。しかし、白根は日々どんどんと痩せ細っていった。100キロ超だった体重が78キロまで一気に落ちたのである。
「単調な日々にストレスを感じていたのもありますが、リハビリとはいえ練習量が僕にはきつかった。高校時代は練習らしい練習なんてしていませんでしたから。一から十までメニューが決められて、それをきっちり行うというやり方自体が初めてでした」
2年目、春季キャンプでの練習試合で初実戦。いきなり初打席でサヨナラ打を放つ、高校時代と変わらぬ勝負強さを見せ、応援に訪れた母親と互いに涙を流して喜んだ。だが、“ジャイアン”の面影すら失ったことでパワーは激減。打球が飛ばなくなってしまった。そこで昨年オフは体重アップを目的にトレーニングに取り組んだ。
「僕の魅力はやっぱり長打だと思います。体重が1キロ増えれば、飛距離が1メーター伸びる。実際そんなことあり得ないですが、それが僕の合言葉でした。3年目の今シーズンは90キロ前後。僕はこれがベスト体重だと思っています。高校の頃みたいに? いや、あれはないでしょう(笑)」