奇跡を信じられなかったC・ロナウド 不運と必然が重なったポルトガルの敗退

工藤 拓

GL突破は不可能に近かったが……

本調子ではなかったC・ロナウド(右)だが第3戦では決定機を何度も迎えた。しかし、奇跡を信じることはできなかった…… 【写真:ロイター/アフロ】

 とはいえ、それらの障害もエースのC・ロナウドが100パーセントの状態にあれば問題にはならなかったかもしれない。

 リーガ・エスパニョーラ13−14シーズンの終盤から、左ひざの膝蓋腱(しつがいけん)に痛みを抱えてきた彼のコンディションについては、開幕前から「このままプレーを続ければ炎症が慢性化し、今後のキャリアを危険にさらす」といったドクターの見解などが日々話題となっていた。それでも本人は繰り返し「問題ない」と訴えていたものの、彼が本調子にないことはプレーを見れば一目瞭然だった。

 快足を生かした裏への抜け出しや高速ドリブルは影を潜め、ボールを受けてもシンプルにパスをさばくばかり。得意の無回転キックはボールの芯を捉えられず、シュートは力なく枠を外れていく。ほとんどボールにすら触れられぬまま90分間を過ごしたドイツ戦に続き、米国戦も終了直前に右からのクロスでシウベストレ・バレラの同点弾をアシストするまで「らしい」プレーは皆無だった。

 そして迎えたガーナとの第3戦。ポルトガルが2位通過するためには米国がドイツに敗れ、かつ自分たちが最低でも4点差以上で勝つことが必要だった。ドイツと米国が引き分けたら可能性はゼロ、米国が勝ったら10ゴールくらい必要になるので実質的にはゼロ。それはとてつもなく難しい条件のように思われた。

 しかし、実際は不可能ではなかった。C・ロナウドが手にした幾多のチャンスを決めていれば……。

奇跡は信じなければ起こらない

 前半5分に右サイドからのクロスがバーをたたいたシュートを加えれば、この日C・ロナウドが逃した決定機の数は5つに上る。しかも55分にはドイツ先制の朗報が届き、80分に2−1とリードした時点でガーナの選手たちははっきりと気持ちを切らせていた。

 それでも、あと3点は遠すぎる。そんな諦観がピッチ中に漂う中、C・ロナウドは残り10分のうちに3つのビッグチャンスを手にした。そして、その1つも決めることができなかった。

「難しい条件だったけど、結果的には可能性があった。たくさんチャンスを得られたのに、生かすことができなかった」

 試合後、マンオブザマッチに選ばれたC・ロナウドは会見でそう語った後、質問は受け付けず会場を去った。

 過去2試合と比べ、この日のプレーからは体のキレが戻ってきた印象を与えていた。しかし、その表情は終始冴えなかった。恐らく彼は自身が100パーセントの状態にない中、奇跡の逆転劇を起こせる確信を持つことができなかったのではないか。

 かろうじて勝ち抜けの可能性を残した米国戦の直後、C・ロナウドはこんなことを口にしていた。
「自分たちが優勝候補に挙げられたことなど一度もない。ポルトガルが世界王者になるなんて、偽りの希望だったんだ。何事にも可能性はあるが、自分たちより強いチームはいくつもある。恐らく、自分たちより優勝するに相応しいチームもね」

 母国に波紋をもたらしたこの発言は、今大会におけるポルトガルの限界を示していた。C・ロナウドの得点力と強じんなメンタリティーに支えられてきたポルトガルは、その双方を失った時点で戦えるチームではなくなってしまったのだ。

 DFジョン・ボイエのオウンゴールで先制した際も、C・ロナウドが勝ち越しゴールを決めた際も、ポルトガルの選手たちが「いける」という表情を見せることはなかった。奇跡は信じなければ起こらない。だが手負いのC・ロナウドは、仲間たちにも自分自身にも、奇跡の可能性を信じさせることができなかった。

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著者プロフィール

東京生まれの神奈川育ち。桐光学園高‐早稲田大学文学部卒。幼稚園のクラブでボールを蹴りはじめ、大学時代よりフットボールライターを志す。2006年よりバルセロナ在住。現在はサッカーを中心に欧州のスポーツ取材に奔走しつつ、執筆、翻訳活動を続けている。生涯現役を目標にプレーも継続。自身が立ち上げたバルセロナのフットサルチームは活動10周年を迎えた。

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