W杯の呪縛と戦うハリルホジッチ監督 アルジェリアを率いて3度目の正直を狙う
輝かしい実績もW杯では不運の連続
アルジェリア代表監督のバヒド・ハリルホジッチ。選手、監督として輝かしい実績を持つが、これまでのW杯では不運が続いていた 【写真:ロイター/アフロ】
現在61歳のハリルホジッチは、1970〜80年代にかけてセンターFWとして第一線で活躍し、ゴールを量産した元名選手。旧ユーゴスラビアのベレジュ・モスタルで台頭したあと、フランスのナントで2度もリーグアンの得点王に輝き、もちろん旧ユーゴスラビア代表でもプレーした。監督キャリアも華々しいものである。フランスのリールを1年間で2部からチャンピオンズリーグの舞台まで引き上げると、パリ・サンジェルマンではフランスカップを制覇。モロッコのラジャ・カサブランカ時代にはアフリカ・チャンピオンズリーグでも頂点に立った。
だが、何より興味深いのはハリルホジッチとW杯との巡り合わせである。それは驚くほど不運の連続だった。
監督と合わず、実力が発揮できなかったスペイン大会
もちろんハリルホジッチは、その時の監督の方針に納得できなかった。自分が起用されなかったのは、セルビアやクロアチアの主要クラブでプレーしていなかったせいだと感じ、「私の名前はベオグラードの電光掲示板に入らないほど長かったのさ」と皮肉を交えて当時を振り返る。
わずか1敗で解任、目前で逃した南アフリカ大会
ハリルホジッチは当時のことをこのように振り返っている。
「協会の事務局長からファックスが届いたんだ。そこには、アフリカネーションズカップで優勝を逃したため、私との契約を解除するという短いメッセージが書かれていた。24試合で唯一の敗戦だったにもかかわらずだ。本当にショックだった。信じられなかったよ。選手たちも私とW杯に行けなくなったことに肩を落とし、みんな同情してくれた。後に知ったのだが、あの解任劇には政治的な背景があったという。大統領選挙に関係することだったようだ。何より悲しかったのは、協会による解任の伝え方だった。事務局長からのファックス1枚だったからね。屈辱的だった。サッカーは何が起こるか分からないということを改めて痛感した。特にアフリカではね」
ショックから立ち直れずにいたハリルホジッチは、南アフリカ大会のコートジボワール戦を1試合も見なかったという。これがハリルホジッチにまつわる2つ目のW杯の物語だ。