ボスニア敗退…現実になったオシムの危惧 本命の立場には合わないメンタリティー

長束恭行

アルゼンチンに健闘、しかしオシムは

エースのジェコも不発。ボスニアの挑戦はグループステージで幕を閉じた 【写真:ロイター/アフロ】

 アルゼンチン戦前日。W杯を待ち焦がれていたスパヒッチは、フェイスブックを通してサポーターにメッセージを送った。

「キャプテンとして勝利やグループステージ突破は約束できないが、最高の舞台でボスニア・ヘルツェゴビナを世に知らしめるべく選手全員が全力を尽くすことは約束する。洪水の被害者に対する思いは特別だ。国民と一緒に味わったすべてのことが『ブラジルでより良い結果を残そう』という選手達のモチベーションになっている。我がボスニア・ヘルツェゴビナのため一致団結しよう!」

 数で圧倒するサポーターを背にしたアルゼンチンに対し、ボスニアは臆することなく上々のW杯デビューを果たした。開始直後は浮き足立ってオウンゴールを献上するも、ピャニッチを中心に決定機を演出。シュート数でアルゼンチンを上回る。一瞬の隙からリオネル・メッシに振り切られた2失点目のシーンを除けば、走行距離12.271キロを記録したベシッチは「新発見」たる働きぶりだった。

「地球表面の71パーセントは水で覆われているが、残りの29パーセントはムハメド・ベシッチが覆っている」

 FWベダド・イビシェビッチのゴールで1点差まで肉薄した大健闘にサポーターは歓喜し、メッシをピッチ上から消したニューヒーローをこのように大絶賛した。だが、ご意見番としてサラエボに残るオシムはもっと哲学的で現実的だ。

「ベシッチがあのようにプレーすることでボスニアがメッシ封じを試みた代償として、アルゼンチンもベシッチ封じに成功していたことを頭に入れておかねばならない。すなわち、実際のわれわれは一人少なく戦っていた。いかなるマンツーマンも自分の選手を一人失うという状況を作り出してしまう」

「もしやサポーターの反応はポジティブを超越したものかもしれない。だが、試合に負けたのに肯定的になる癖は必要ないのだ。この敗北から何かを引き出さなければならない。常に危険が潜んでいる」

「われわれのメンタリティーはアウトサイダー向きで、本命の立場には合わない。アルゼンチン戦は失うものがない点で一番楽な試合だった。だが、残るナイジェリア戦とイラン戦は大きなものを失う可能性がある。だから選手達は地に足をつけなければならない」

あっけなくグループステージ敗退

 オシムの危惧は現実になった。

 ナイジェリアとの第2戦。ボスニアの選手達は開始直後からクイアバの熱帯気候に加えて、本命としての重圧に苦しんだ。21分、ジェコの先制ゴールが決まったと思いきや、オフサイドの判定。その後は脆弱な左サイドを攻略され続け、29分にFWエマニュエル・エメニケの突破からMFピーター・オデムウィンギに先制点を決められてしまう。

 後半に入ってスシッチ監督は交代カードを切り続けるも、甥っ子を出す以外はろくなプランを彼は準備していなかったのではないか。棒立ちになる選手ばかりの中、一人走り続けたベシッチも冷静さを欠いた。そして終了間際のジェコのシュートもポストをたたき、ホイッスル。早くもグループステージ敗退が決まった今、メディアやサポーターは審判をたたくことに必死だが、いつも最後に呪う対象は自分の運命になる。

「ボスニアに花が咲いた。私は自分の人生に失望した。あちこちで花は彼女のように香るが、私は溜息をついている」

 あっけなくボスニアは散った。イランとの最終戦を迎える彼らの心境は、まさにこの歌に凝縮されている。

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著者プロフィール

1973年名古屋生まれ。サッカージャーナリスト、通訳。同志社大学卒業後、都市銀行に就職するも、97年にクロアチアで現地観戦したディナモ・ザグレブの試合に感銘を受けて退職。以後はクロアチア訪問を繰り返し、2001年に首都ザグレブに移住。10年間にわたってクロアチアや周辺国のサッカーを追った。11年から生活拠点をリトアニアに。訳書に『日本人よ!』(著者:イビチャ・オシム、新潮社)、著作に『旅の指さし会話帳 クロアチア』(情報センター出版局)。スポーツナビ+ブログで「クロアチア・サッカーニュース」も運営

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