元日本代表とアマチュアが共存するクラブ=J2・J3漫遊記 SC相模原<前篇>
コーチらが常駐でないため、監督にかかる負担は大
「うちはフィジカルコーチもGKコーチも常駐ではないんです。ですので、ほとんどの練習では、僕ひとりで選手27人全員と向き合っていくしかない。プロの選手も、働いている選手も、ピッチ上で100パーセントプレーするという条件はまったく同じです。ただ、練習が終わって様子がおかしいときは、仕事が原因の場合もある。ですので、選手ひとりひとりのコンディションを、僕がしっかり把握する必要があるんですが、なにぶんひとりしかいないのでね」
相模原の監督に就任したのは2年前の12年。それまでは神奈川大学で指導していた。実はクラブ発足当時は、大学との掛け持ちでさまざまな後方支援に当たってきたという。
「なにしろ何もないところからのスタートだったので、県協会への登録とか選手集めとか、いろいろお手伝いをさせていただきました。1年目なんて、練習に6人しか集まらない(笑)。練習場も、水たまりのあるような公園で、ボール回しとか対人とかフィットネスをやっていました。みんな仕事を持っていたので、練習時間は夜の7時半から9時半まで。練習場の確保も大変でしたが、開幕戦まで11人そろえられるかどうか、そっちのほうが気がかりでしたね。GK経験者もなかなか見つからなくて、最初のシーズンは控えGKなしで戦っていましたよ。2年目以降は、セレクションでそこそこいい選手が集まるようになって、僕も大学での指導に専念できるようになりましたね」
相模原は現在、ギオンスタジアムのサブグラウンド、ノジマフットボールパーク、そして綾瀬スポーツ公園でトレーニングしている。専用グラウンドがないのは辛いところだが、それでも「始まった頃に比べれば、ずい分と良くなりましたよ」と木村監督は笑う。とはいえ、真の意味でのプロクラブになるためには、まだまだ道半ばであることもまた、身を持って認識している。
「僕もいろいろなクラブやカテゴリーでプレーしていましたが、甲府時代(97−99年)も練習環境は厳しいものがありましたね。専用グラウンドなんてなかったから、与えられた環境でどれだけ効率的に練習するか、という発想が自然に身につくようになりました。相模原では働いている選手が多いので、午前9時から2時間で効率よく練習することを心がけています。でも本当は、選手もスタッフもサッカーだけで生活できるような環境づくりを考えるべきだと思います。今後、本気でさらに上を目指すのであればね」
工場で働きながらプレーするJ3リーガー
「相模原というチームは学生時代から知っていました。個人のレベルも高かったし、攻守の切り替えがスピーディーで、良いチームだなという印象でしたね。実は上を目指すJFLクラブからもオファーをいただいていたんです。でもさらに上を目指す意味で、J3というカテゴリーにこだわりがあったので、アマチュアで契約しました」
大森は現在、午前の練習が終わると14時から18時まで、相模原のスポンサーであるKYB株式会社で部品が入った箱の仕分け作業に従事している。それが終わって帰宅すると、地元石巻の特産品を通信販売する仕事が待っている。慣れるまで時間がかかったが、「今は充実している」のだそうだ。身分はアマチュアながら、W杯出場経験のある元日本代表と同じ立場でプレーできているのだから、当然といえば当然だろう。
大森のストーリーは、時に美談めいて聞こえるかもしれない。しかし、地域リーグではなく、J3リーグでプレーする選手の現状であることは留意すべきだ。これは決して相模原に限った話ではなく、他のJ3クラブでも大森のように働きながらプレーを続ける選手はいくらでもいる。確かに、J3でプレーする選手の現状は決して楽ではない。ただ、大森の前向きな言葉からは、ある種の救いが感じられた。
「僕は震災の影響もあって、一時はサッカーを辞めて地元に帰ろうと思ったこともありました。今は家族や仲間の思いを背負っていますから、ちょっとやそっとでは心は折れないつもりです(笑)。監督からも『サッカー一本で生活するように頑張れ』と言われていますし、僕自身もプレーヤーとしてもっと上を目指したい。今は身分的にはセミプロかもしれないけれど、少なくともピッチ上ではJリーガーには絶対に負けないつもりです」
<後篇につづく。文中敬称略>
(協力:Jリーグ)