フランスは反逆の歴史を断ち切れるのか? 未来に賭けるデシャン監督の決断

木村かや子

ブラジルW杯を戦うフランス代表の23人。そこからは反逆の歴史を断ち切るため、未来に賭けたデシャン監督(右)の決意がうかがえる 【Getty Images】

 A WORM IN THE APPLE(リンゴの中の小さな虫)ということわざがある。「どんなに見た目が完璧なリンゴでも、中に虫が一匹潜んでいれば、次第に全体が腐敗していく」という意味だ。フランス代表監督のディディエ・デシャンは、チームを腐敗させかねない危険な種を持たない青いリンゴを手に、ブラジルに向かうことを決めた。フランス代表を繰り返し苛んできた、反逆という名のわがままを事前に防ぐため、また未来に賭けるために。

始まりは成績の伴わないおごりから

 5月13日、デシャン監督が、ワールドカップ(W杯)ブラジル大会に向かう23人の代表メンバーを発表した。世間をどよめかせたのは、選ばれたメンバーよりも、むしろそこにない名前のほうだった。サミル・ナスリ――彼の除外は、驚きでありながら驚きではないといった類のものだ。というのも、惨敗に終わったユーロ(欧州選手権)2012のインタビュー・エリアで記者に暴言を吐き、その後の試合の得点後に世論に対する挑発と思われる仕草をして以来、ナスリは礼儀しらずの新世代の象徴としての、汚名を受け継いでいたからなのである。

 受け継いだと言ったのは、それに先立つ2010年W杯・南アフリカ大会の際に、より深刻かつ有名な、ニコラ・アネルカの監督への暴言と、選手の練習ボイコット事件があったからだ。フランス代表史上最大の汚点となった、その子どもじみた反逆は、1998年に始まった黄金時代の残光にすがっていたフランスの、黒歴史の始まりだった。厳密に言えば、その予兆は成績面で惨憺(さんたん)たるものだったユーロ2008に始まっている。グループ・ラウンド敗退が決まった試合後のトンネルで、ベテランのパトリック・ビエラと当時まだ若手の一角だったパトリス・エブラがつかみ合い、軽い諍(いさか)いを起こしていたのだ。

 成績が悪かったときに選手がナーバスになるのはそう珍しいことではなく、特にチーム内の一瞬の衝突だっただけに、この一件はそれほど大事とはとられなかった。しかし今になってみれば、これは98年、00年には友情で結ばれたチームと誉れ高く、06年にジネディーヌ・ジダンの復帰で再び一丸となったかに見えたフランス代表の、チームワーク崩壊ののろしだったようにも思える。

フランスの名を地に落としたボイコット事件

 有名選手の集団である強国の代表に、少なからず内部摩擦が存在するというのはよく聞く話だ。しかしW杯・南アフリカ大会での出来事は、そのようなよくある状況を超えた異常事態だった。10年の6月17日、なかなか得点できずナーバスな状態でロッカールームに引き上げた際に、アネルカが当時の監督レイモン・ドメネクに対し、簡略化していえば「うせろ、ボケ」をより下品にした類の言葉を吐いた。そして0−2の敗戦後、その事実が内通者を介してメディアに漏洩(ろうえい)。アネルカは、大会中にチームからの追放処分を受けることになり、それを受けて例の練習ボイコットが起きる。

 フランス代表は南アフリカ戦前の練習に彼らを運んだバスの中にこもり、当時キャプテンに抜てきされ、意気軒昂(いきけんこう)としていたエブラの音頭の下、団結を見せるためにアネルカの処分に抗議の意を示して、練習のボイコットを決断した。全員が賛成ではなかったようだが、異議を唱える勇気のある者もなく、メディアに対する決断書まで用意。その声明をドメネク監督がメディアの前で読み上げるという奇異な事態にまで至ったことは、ご存じの通りだ。

 団結の名のもとに行った行為だが、この一件は、監督、代表ユニホームに対する敬意の欠如だけなく、チーム内で一部の選手が、あたかも不良グループのヘッドのように有無を言わさずその他を従わせている、というイメージを浮き彫りにすることになる。反逆といえば聞こえはいいが、これは当世代の代表選手たちの礼儀のなさ、傲慢(ごうまん)さ、責任感のなさ、ついでに頭の弱さを露呈した一幕と受け取られた。

 この事件の罰とし、暴言の張本人アネルカは18試合出場停止で事実上、代表から永久追放に。首謀格とされたエブラ(5試合)、フランク・リベリ(3試合)、ジェレミー・トゥララン(1試合)がそれぞれ出場停止を言い渡された。トゥラランが入ったのは、彼の代理人か弁護士が、ボイコット声明文を作成したためである。ドメネク監督は、大会一弱いとみなされていた南アフリカにも負け(1−2)、1勝もできずに敗退した成績面(1分け2敗でグループ最下位)の失敗に加え、采配面での無能さ、完全に選手になめられていた権威のなさを理由に、即解雇された。

 この代表での出来事が、現在フランスで社会問題化している新世代、とくに移民系二世三世の堕落、国旗への敬意の欠如の象徴とみなされ、大論争を巻き起こすことになる。何とかフランス代表のイメージを復興させようと躍起になるフランス・サッカー協会(FFF)は、泥まみれになった名誉を回復させるため、黄金時代の主力だったローラン・ブランを監督の座に呼び寄せた。

摘む先から出る別の悪い芽、若い世代の劣化……

 しかし、事が良い方向に進み始めたかに見えた矢先のユーロ2012の最中、またも事件が勃発する。

 それは、敗戦に終わった対スウェーデン戦(0−2)後のロッカールームで、交代させられたことにむくれて携帯電話をいじっていたハテム・ベンアルファを、ブラン監督が「他にやることはないのか」と叱咤(しった)したところ、ベンアルファが、「僕のプレーが気に入らないなら送り返せばいいだろう」と、反撃したと伝えられる一件だ。フランス代表はW杯・南アフリカ大会の醜聞(しゅうぶん)の余波の中にあり、さらにそれ以前にベンアルファが、クラブでの反抗的態度で前科の多い選手だったため、この一件が見過ごされることは不可能だった。

 さらに、最終的にフランスが敗退の引導を渡された準々決勝のスペイン戦(0−2)後、ミックスゾーンでコメントを拒否したナスリに「(答えたくない)ならば勝手に去れ」といった類の言葉を投げた記者に対し、ナスリがFワード交じりの暴言を吐いた事件が、騒ぎに追い討ちをかける。ナスリはこの一件で3試合の出場停止処分を受けるが、それに、審判を侮辱したジェレミー・メネズの1試合の出場停止、また上記のベンアルファと、スペイン戦で退出の際に監督と握手をしなかったヤン・エムビラが協会の懲戒委員会から警告を受ける、というおまけがついた。

 ナスリとベンアルファはまだしも、メネズとエムビラについては、やや過剰反応ではないかという意見もあった。ミシェル・プラティニ(欧州サッカー連盟会長)は、メディアに反論するたびに罰されていたら自分はプレー時間が半減していただろうと揶揄(やゆ)したが、確かに客観的に見て、今回の4選手の罪状は、10年W杯の場合ほど深刻なものではないように見える。

 しかし、南アフリカの一件の直後だけに、世論の反応は「ブルータス、お前もか」とでもいうべき、ドラマチックな色を帯びていた。特に、代表のイメージ挽回に努めていたFFFにとって、これは別の意味で非常に深刻な事件だったのだ。ここで罰された4人は、W杯・南アフリカ大会の際に招集もされていなかった面子。2〜3腐った芽を詰んでもまた悪い芽が顔を出す――つまりそれは、フランスの若い世代全体の腐敗、教育の欠如を映すものであるようにとられた。

 現実的にユース年代の不品行は、近年、FFFの育成部門でも問題視されていたことだ。プロサッカー選手は、早くに稼ぎすぎ、有名クラブでプレーしているがゆえに“てんぐになった、無教養な集団”というような批判は、今に始まったものではない。また問題を起こした者に移民系が多かったため、お茶の間からは、これを再び移民二世三世の堕落に結びつける声も出た。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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