日本に足りない部分は“個の打開力” ヘルタ移籍の原口「僕がその存在になる」
必ず浦和に帰ってきて、タイトルを獲りたい
原口はゴールを決めると必ずといっていいほど左胸のエンブレムに触れる。この表現からも、彼がどれだけクラブを愛しているのかが伝わってくる 【写真:松岡健三郎/アフロ】
すべてがレッズで始まっている。すべてのことをレッズから学びました。正直僕は他のクラブのことを知らないわけですから。僕が今しているプレー、僕のすべてをつくってくれたクラブだと思います。
――ジュニアユースからプレーしてきて、このクラブに恩返しをしたいという気持ちが強かったのでしょうか?
タイトルを獲って、移籍金を払ってもらって、評価されて移籍したいという思いが強かった。タイトルは獲れなかったですけれど、評価される選手に育ててもらった。ここまでこれたのは浦和レッズのおかげです。たくさんの良いチームメートにも出会えましたし、良い監督とプレーできたというのは、自分の中で誇りになっています。
――慣れ親しんだ浦和という街を離れる寂しさはありますか?
それよりもうまくなりたいとか、自分の目標に向かっていく気持ちの方が何倍も強いので、寂しいという感情は、正直今のところないです。ただ心残りはあります。浦和レッズに入ってから、タイトルをもたらしたいという気持ちが強かったんですけども、それができなかったことが非常に心残りです。
――4年契約ですが、いつかはまたレッズに戻るという気持ちはありますか?
自分の中の心残りは(浦和で)タイトルが獲れなかったこと。だから、必ずいつか帰ってきてそれを成し遂げたいと思っています。僕が(日本に)帰ってくるのは浦和レッズだけ。また、呼んでもらえるように、そのために必ず日本で一番の選手になって帰ってきたいです。
――原口選手が一番思い出に残っているゴールと試合を教えてください。
2011年の大宮戦(第14節/2−2で引き分け)のゴールと、その試合です。試合の直前にレッズと3年契約を結んだので、そこで『必ず移籍金を払ってもらって、海外へ行く』という思いが芽生えました。そこがまたひとつのスタートだったので、その試合でゴールを決めることができて思い出深い試合です。ゴールも、試合も。この時はサポーターから非常に感慨深い断幕も出してもらって、あの言葉というのは僕にとって大事なものになっています。
――浦和レッズサポーターからすると(移籍が)何故このタイミングなんだという声もあるかと思います。
タイミングの問題よりも、行き先のヘルタが非常に良いクラブだったということもありました。ちゃんと違約金を払ってくれる。ちゃんと自分を評価してくれるクラブからのオファーが来た、というのは自分の中で大きかった。レッズに移籍金を残していくというのもひとつの目標でもあったので、それが大きかったです。
――残り2試合、浦和レッズの選手としてヤマザキナビスコカップがあります。11年にはニューヒーロー賞も受賞した思い出深い大会でもあります。どう臨みたいですか?
最後まで、浦和レッズのエンブレムを背負っている以上は、レッズのために戦う。ゴールを決めてサポーターを喜ばせてあげたいなと思います。
――感情的になる部分はないですか?
最後になってみないと分からないですけれど、感謝の気持ちを持ちながらやりたいですし、サポーターが心配になるようなプレーをして出て行きたくないです。『元気、お前成長したな』『行って来い!』と言われるようなプレーを最後に見せたいと思います。
世界で通用するドリブラーになりたい
直近は、成長することです。具体的な目標はもちろん試合に出るとか、当たり前のものもありますが、一日一日を大切にして、これからも成長し続ける。それが必ず自分の目標へとつながっていくと思っています。
――(ミハイロ・)ペトロヴィッチ監督からは何と声をかけられましたか?
ヘルタは良いクラブだし、良いオファーをもらったんだから頑張れと。ドイツで成功する秘訣を後で教えるよとも言われました。
――自分のストロングポイントを違う環境でさらに伸ばしたいのか、それとも新たな引き出しを作りたいのか。両方だと思うが、重きを置いている点は?
正直、ミシャ(ペトロヴィッチ)が来てから(自分のプレーに)幅ができたと思うんです。それによって自分自身、一人前の選手になれたと思っている。いろいろなポジションでもプレーができました。ここからはストロングな部分を伸ばしていきたい。世界でもドリブルが通用するようなプレーヤーになりたい。一人で打開できるようなプレーができるようになりたい。そこが日本人に足りない部分だと思うから、僕がその存在になりたいとも思う。(ボールを)取られても仕掛けていくことを続けていきたいです。
――サポーターにメッセージを。
本当に温かく見守ってくれていたと思います。簡単に言えば感謝しかないです。でも、僕がいなくなっても、次の生え抜きの選手が必ず出てくると思う。その選手に、また温かく、厳しく接してもらいたいです。常に(サポーターには)そういう存在であってほしいと思っています。