高みを目指す大迫「もっと強くなれる」 強い向上心が生まれたドイツデビュー戦

元川悦子

「フィジカル色が強い」ブンデス2部に適応できるか

屈強な選手がそろうブンデス2部はフィジカル色が強いリーグ。素早く順応し、結果を残し続けることができるか 【Bongarts/Getty Images】

 ただ、大迫本人が「今回の試合はホントに試行錯誤というか、いろんなことを試しながらやるしかなかった。もっともっとボールに触る回数を増やして、仕事の量を多くしていかないといけない」と課題を口にした通り、パフォーマンス全体を振り返ると改善すべき点はやはり少なくない。

 その1つがポストプレーだ。「ブンデス2部は1部よりフィジカル色が強い」と地元記者も強調する通り、大迫もデュッセルドルフの大型チェコ人DFマルティン・ラトカにピタリとマークされ、つぶされる場面が目立った。特に前半は思ったようにボールをキープできず、苦戦を強いられた。「背負った時に相手が重かった」と、大迫自身もコメントしているが、大迫とラトカの体格差は明らか。そこまで屈強で大柄なDFと対峙(たいじ)する機会がこれまでのキャリアでは少なかったこともあり、やむを得ない部分も確かにある。だが、フィジカルの問題をクリアしなければ、ブンデス2部という難しいリーグではやっていけないだろう。その難題を制してこそ、世界基準の相手と互角に戦えるようになるといっても過言ではない。
 ただ、そんな状況下でも、大迫は相手との間合いやリズムを変えながら駆け引きをして、ボールを収める回数を多くしていった。そうやって工夫を凝らせるのがこの男の賢いところ。そのパフォーマンスをテレビで見たという岡崎も「初めてにしては、よく前線でボールを収めていた」と前向きにとらえていた。「もう少し体が慣れていけば、余裕を持ってできるのかなと思いました」と大迫本人もポジティブに話していたが、その領域までどれだけ早く到達できるかが肝要だ。

 冬の移籍で加入した選手は「チーム浮上の切り札」になるべき存在。20試合終了時点で9位と上位浮上を果たせていない1860ミュンヘン側も大迫をそう位置づけているに違いない。ポストプレーを改善し、味方からより多くのボールを引き出せるようになることは、自分自身とチームを成功へと導く絶対条件。ここから本当の勝負が始まるのだ。
 チームメートとのコミュニケーションや連係を向上させ、得点パターンを増やすことも今後の重要テーマと言える。デュッセルドルフ戦の大迫は2度3度と相手の裏へ飛び出そうとしていたが、欲しいタイミングでボールは出てこなかった。現時点ではドイツ語の意思疎通ができず、通訳に頼っているのは事実だが、そういう中でも自分の欲しいタイミングや球質などを伝えていかないと、得点には近づかない。ゴールに関してもとりあえず1点は挙げたが、シュート数は2本にとどまった。それは本人もよく分かっているはずだ。

「ここでやるのがすごく楽しみになった」

 試合後、大挙して集まった報道陣に約5分間取材対応した大迫は「もっともっと自分のプレーを出せると思うし成長できる。実際、試合をやってみて、こっちでFWとして試合に出ることでもっともっと強くなれるなと思った。ここでやるのがすごく楽しみになりました」と、「もっともっと」という言葉を何度も繰り返した。それだけ高みを目指す意欲が心の底から湧いてきたということだろう。
 もともとプロ意識の高い選手ではあったが、ドイツという異国に飛び出したことで、新たな刺激を受けたのは確か。世界基準のフィジカルの中でプレーしていれば、おのずと1トップの動き方を体得できるだろうし、日本代表にも新たなエッセンスをもたらせる。そういう意味で、国内にとどまっている柿谷や前田遼一らライバルたちよりはアドバンテージがあるのではないか。

 10年南アフリカW杯直後に海を渡った香川真司や内田篤人、長友佑都らが短期間で見違えるほどたくましく、そして鋭くなったように、大迫もストライカーとしてスケールアップできれば、ブラジルの大舞台へまた一歩近づく。彼の今後の軌跡をしっかりと見続けていくべきだ。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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