トリノ五輪で“カーリングブーム”を起こした「チーム青森」の活躍=プレーバック五輪 第10回

小川勝

チーム青森の健闘で日本中にカーリングブームを巻き起こした。写真は左から本橋麻里、小野寺(現・小笠原)歩、寺田桜子 【写真は共同】

 カーリングが五輪の正式種目になったのは1998年の長野五輪。日本においては北海道と長野におけるローカルスポーツだったこの競技が、飛躍的に認知度を高めたのは2006年のトリノ五輪だった。女子日本代表の「チーム青森」が、順位こそ7位だったものの、カーリング王国のカナダ、および02年ソルトレークシティ五輪金メダルの英国に勝つなど、注目すべき勝利を挙げて脚光を浴びた。

 この大会は、日本勢のメダル獲得がフィギュアスケート・荒川静香の金メダルだけだったこともあって、チーム青森の健闘はいっそう関心を呼んだ。大会後、数少ないカーリング教室が満員になるなど、いわゆる『ブーム』を巻き起こした。

 当時のメンバーはリード目黒萌絵、セカンド本橋麻里、サード林弓枝、スキップ小野寺歩。林は現姓・船山、小野寺は現姓・小笠原だ。目黒とリザーブだった寺田桜子は北海道の南富良野町出身だが、あとの3人はいずれも日本初の屋内カーリング場を保有していたオホーツク海沿いの町、常呂町の出身だった。地元ではカーリング選手を支援する企業もない中、五輪出場を目指していた小野寺と林が、03年冬季アジア大会の開催でカーリング場を建設した青森市に、雇用と競技環境を求めて移住したことが「チーム青森」の始まりだった。

 五輪でのカーリングは出場10カ国で総当たりの予選リーグを行い、上位4カ国が決勝トーナメントに進出する。トリノ五輪におけるチーム青森は、開幕から4戦して1勝3敗。続く第5戦が強豪・カナダ戦だったため、予選リーグの突破は、もはや風前の灯火に思えた。しかしこのカナダ戦で一度もリードを許すことなく快勝。試合内容も、小野寺が大きなピンチできわめてレベルの高いダブルテイクアウトを決めるなど、見応えのある内容だったことから、この試合の中継を境に、注目度は一気に高まった。

 続く相手のスウェーデンは優勝候補で、実際金メダルを獲得することになるのだが、このチームに対しても手に汗握る大接戦を演じた。最終的には延長戦の末に1点差の惜敗。カギになったのは第9エンド、ナンバー2のストーンをめぐって肉眼では判断がつかず、メジャー測定になった。測定は1回では判断できず、もう一度測り直したほど微妙な距離だった。その結果、ナンバー2はスウェーデンとの裁定が下り、スウェーデンに2点が入った。この時、測定の対象になった日本のストーンがあと1センチでもハウスの中心に近く、スウェーデンの得点が1点だったら、第10エンドで日本が勝利していた試合だった。

 結果、2勝4敗となり、予選リーグ突破へ1敗もできない状況になったが、そこから英国、イタリアを破って4勝4敗。結局、最終戦のスイス(銀メダル)に敗れて予選リーグ突破はならなかったものの、最後の試合まで可能性を残して、日本中にカーリングの面白さを伝えることになった。

 ある新聞が「金メダルをあげたい選手」というアンケートを行ったところカーリング女子が1位になるなど、この大会をきっかけに冬季五輪人気競技のひとつになった。
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著者プロフィール

1959年、東京生まれ。青山学院大学理工学部卒。82年、スポーツニッポン新聞社に入社。アマ野球、プロ野球、北米4大スポーツ、長野五輪などを担当。01年5月に独立してスポーツライターに。著書に「幻の東京カッブス」(毎日新聞社)、「イチローは『天才』ではない」(角川書店)、「10秒の壁」(集英社)など。

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