選手として最後の仕事を終えた山田暢久 引退の決意は誰の言葉でもなく自分で
現役引退会見に臨んだ山田暢久。自身の現役生活を振り返るとともに、将来への意気込みを語った 【スポーツナビ】
1994年に藤枝東高(静岡)から浦和入り。以来、浦和一筋で20年間プレーし、昨シーズン限りでクラブを退団した。13年10月には史上3人目となるJ1通算500試合出場を達成。J1通算501試合25得点、J2通算39試合2得点、日本代表では国際Aマッチ15試合に出場して1得点を記録している。
現役よりも家族を優先
一番印象深いのはJリーグ優勝
自分の中では、どこのクラブでもいいので、現役を続行したいという気持ちはありましたけど、やはり僕も家族を持っているので、色んなことを考えながら、他のチームからもお誘いはありましたが、断らせてもらいました。
――浦和の山田暢久で終わりたかった?
そういう気持ちもありながら、まだ自分は他のチームでやりたい気持ちもあったので、ここに来るまですごく悩みました。最終的にはそういう形で終わったほうが自分のためにもいいだろうと思って決断しました。
――最終的に決断した時期やきっかけは?
決断したのは1月の終わり、ついこの間です。きっかけは誰の言葉でもなく、自分の中で割り切って決めさせてもらいました。
――決断に対して家族の反応は?
本意かどうかは分からないけど、自分の決めたことに同意してくれたので、それは僕もよかったなと感謝しています。
――選手生活を振り返って印象に残っていることは?
選手を辞めると思うと、あっけなかったなという感じもします。20年間、レッズで歴史を歩んできていろんなことがあったので、どれがというのはないんですけど……。その中でもやっぱり、Jリーグで優勝できたことは一番印象深く残っています。
サポーターの熱い声援に感謝
強化部に籍を置かせていただいて、スカウトも、育成も、指導も、今年はいろいろ勉強させてもらいながらやっていきたいと思います。
――浦和の監督をやりたいという気持ちは?
そこまではまだ思ってないです。レッズにスタッフとして入らせてもらって、これから自分の道というのが見えていけばいいなと考えています。
――サポーターに伝えたいことは?
最終戦で思っていることとか皆さんへの感謝の気持ちを言わせてもらったので、改めては言いづらいですけど、本当に20年間熱い声援でサポートしてもらったので感謝してます。ここまで発表が延びてしまって心配をかけた部分もありますが、改めて感謝していますと伝えたいです。
――やり残したこと、心残りは?
自分の中でプロとして20年間も現役でやってこれるとは思っていなかったので、やり残したことはないです。気持ちよくレッズという会社に残らせてもらうので、今後はしっかり力になりたいと思います。
――今年から背番号6は山田直輝選手になるが、どういう感想を持ったか?
先日、直輝の結婚式に出席させてもらったんですけど、その時、本人から「6番を着させてください」とチームに言ったことを聞きました。そういう選手に着てもらうのはうれしかったし、気負わないで頑張ってほしいと思います。
20年間レッズでやれて本当に幸せ
夢というのを今は考えられないですけど、本当にレッズのフロントの仕事をしていく上で、自分の道というものを探せればいいなと思っています。
――毎年この時期はキャンプがあったと思うが今年は毎日何をやっている?
ここまで約2カ月ですかね。これだけ長い期間サッカーをやらなかったことは自分の中で初めてのことだったので、家族とゆっくりしていました。毎日、体を動かしたくてしょうがない感じはします。
――もし、家族がまだ続けてくれと言っていたら?
息子からは現役を続けてほしいと言われたし、僕もそれに応えたいというか、現役でやりたい気持ちもあったので決断がここまで延びたというのがあります。そのあと、うまくまとまらなかったので、それを家族に伝えて納得してもらったという形になります。
――レッズの選手でよかったなと思う瞬間は?
よかったなと思う瞬間は各シーズンあるので、どれとは言えませんけど20年間レッズでやれたことが本当に幸せなんじゃないかと思います。
――20年経って、年を取ったと感じる瞬間は?
過去の本や映像などを見るとやっぱり若々しい感じがしました。体力的にもそうだと思いますけどやっぱり、年をとったんだなと実感しましたね。
<了>
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