本田、デビュー戦で早くも放った存在感=ふがいないチームの柱となる可能性も

神尾光臣

勝利はならなかったが本田は好評価

アレグリ監督の解任がうわさされるなどチームは混乱状態にあるが、その中で本田は存在感をアピールすることができるか 【Getty Images】

 実際、その時はすぐにやってきた。後半から本田にアップを命じていたアレグリ監督は、まず後半10分にリカルド・モントリーボとジャンパオロ・パッツィーニを投入。そして後半20分、ロビーニョに代えて本田を投入したのである。中盤にはモントリーボとナイジェル・デ・ヨングの2枚を残し、前線には4人のFWを保つ超攻撃的な布陣。そして「サッスオロのセンターバックを横に広げる必要がある」と考えたアレグリ監督は、本田を右に張らせた位置からスタートさせたのである。

 サイドに張ってピッチの幅を取り、スペースが出来れば中へ絞って攻撃へと絡む。ワンタッチでパスを裁いた本田は、エリアの中へ入ってゾーンの隙間に入るという動きを繰り返した。そして、そんな彼のもとにボールが集まる。後半24分、左から上がったクロスを頭で落とし、そのボールにさらにパッツィーニが反応するが、ゴールは割れなかった。

 サッスオロのペースが落ちたせいもあるが、モントリーボや本田の投入でボールがつながるようになったミランは、相手に畳み掛ける。そして本田もさらに存在感を見せて行く。後半30分に左足で蹴った右からのFKは大きく逸れてしまうが、後半38分にはモントリーボの横パスに反応し、ダイレクトで左足のミドルシュートを放つ。強烈な弾道は枠を捉えるが、右ポストに弾かれた。

 さらに本田はアディショナルタイムの49分にも、小気味よいターンでマーカーの裏を取って縦に突破、右サイドから正確なクロスを放っている。結局ミランは1点を返すに留まったものの、本田は出場した29分間で決して小さくない存在感を放っていた。

 「良いパフォーマンスだった。もちろんまだ実戦のリズムを取り戻さなければならないし、味方との連係にもイタリアのサッカーにも慣れないといけないが、お披露目としては上々だったのではないか」とアレグリ監督も及第点を与えていた。詰めかけた地元記者も、本田のパフォーマンスには好印象。本稿入稿時点で翌日の現地紙はまだ発行されていないが、「チーム自体がめちゃくちゃだったせいもあるけど、彼の評点には6.5を付けミランの中でベストだと評価させてもらった」という一般紙の記者もいた。

監督更迭は定着のチャンスとも言える

 もっとも試合後、各メディアの電子版では本田のデビューは大きな話題にはなっていなかった。それどころではなくなったのだ。ベラルディがミラン相手に4得点、そしてバルバラ・ベルルスコーニ副会長が「またひどいパフォーマンスを展開した。これ以上ファンを失望させるわけにはいかない。すべてを変える必要がある」とANSA通信を通して発言したのだ。

 その意味するところは、さしあたっての監督更迭。試合後の記者会見でアレグリ監督は「今までの4年間、自分のやってきたことについて後悔はない。たとえミランが私を解任するとしてもだ」と、なかばクビを覚悟した発言をしていた。

 地元メディアの間では早速、現在ユースチームの監督を務めるフィリッポ・インザーギの内部昇格もうわさされているが、いずれにせよ加入直後の本田にとっては、チームに慣れている段階でいきなり変化が訪れることを意味する。

 試合中、ミラニスタが巣食ったマペイ・スタジアム・チッタ・デル・トリコロールのアウエー席からは「働け」と選手を非難するチャントが歌われていた。激動のチームの中に放り込まることになった本田だが、チームの柱として定着できるチャンスが早速到来したとも言える。彼がどのようにして運命を切り開いて行くことになるのか、目が離せない。

<了>

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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