“運命のベルト”を取り戻すことができるか=若き実力者・金子が盤石の王者・内山に挑む

船橋真二郎

憧れの畑山氏の前でベルト奪取を誓う

憧れの畑山氏の持っていた“運命のベルト”をジムに取り戻すことができるか 【スポーツナビ】

 金子が日本王者となったのは昨年5月。この戴冠戦で、金子はその潜在能力を一気に解き放った。3度防衛中の激闘派王者、岡田誠一(大橋)をまったく寄せつけない8回TKOの完勝劇を、金子は「精神的な部分が大きかった。今までやってきたことを信じて、信じきることができた試合」と振り返る。それから4度の防衛戦をすべてKOで終わらせる圧倒的強さでクリアし、1戦ごとに自身の“日常”に対する自信を深めてきたのである。

 畑山隆則氏に憧れ、中学卒業後16歳で愛知県田原市から単身、横浜光ジムに飛び込んだ金子。内山をはじめ、現在の世界王者のほとんどが経ているアマチュア経験はなく、プロの世界で鍛えられ、力をつけてきた叩き上げの挑戦者である。だが、今でこそ、全階級で最も安定感があって、最も勢いがある日本王者と高い評価を得ているが、「伸び悩んでいた時期が長かった」と金子が振り返るように、最短距離でここまで駆け上がってきたわけではない。

「内容的にはフラストレーションの溜まる試合ばかり。もともと体は強くて、その体格的アドバンテージで押し込んで、ガチャガチャの打ち合いばかりしていたから毎回のように血まみれになる。僕もセコンドについて、白いジャージを何着ダメにしたか(笑)」
 27歳で現役を退いた直後の約4年前、金子が8回戦に上がったころから指導してきた石井会長は当時の印象をこう話す。だから、金子については「全部、変えよう」と考えたという。
「僕も現役時代にロサンゼルスやメキシコに行ったんですが、金子と同じようにフィジカルが強く、リーチの長い選手はゴロゴロいて、そういう奴らが距離を自在に使ったやりづらいボクシングをしていた。この体格を活かさないのはもったいないと」
 金子自身は、浮上のきっかけをつかんだのは約2年半前、最強後楽園(日本上位ランカーに優先的に出場権がある日本タイトル挑戦権獲得トーナメント)にエントリーしたころだったと振り返る。
「練習はしているのに、思うような戦い方ができなくて。悩んで、苦しんで、それでも答えが見つからなくて。自分の殻に閉じこもっていた。もっと人の話を聞いて、広い視野でいろんなものを見ようと思い始めた」
 石井会長は言う。
「あのころの金子には、すがるような気持ちがあったと思う。周囲の言うことが本当に響くのは、選手自身がSOSを発したとき」
 横浜光ジムにとっても、大きな転換点に立たされたときだった。2011年5月、前会長でジムを創設したオーナーの宮川和則氏が急逝。すでに会長代行の肩書をもらい、宮川氏から実質、後継者に指名されていた石井会長のもとで再出発を図っていたのだ。
「悲しかったし、ジムがどうなるのか不安もあったけど、石井さんが光ジムの看板は下ろさず、俺が頑張るからと言う。自分も光ジムを盛り上げようという使命感というか、頑張ろうという気持ちになったし、強くなることだけに集中しようと」
 石井会長にとっても、さらに金子に力を注ぐ契機になった。
「社長(宮川氏)がいちばん期待していたのが金子でした。しょっちゅう電話がかかってきて、『金子をどうにかしろ』といつも言われてましたから」。

ずば抜けていた練習量に“質”を加え開花

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 もともと金子の練習量はジムでずば抜けていた。その“量”に石井会長が“質”を加えていく。まず、フィジカルの専門家である岡正和トレーナーと話し合い、金子の動きを1からチェックし直した。
「金子が思うような動きができないのは、例えば、重心の取り方とか、筋肉のつき方とか、そういう理由が見えてきた。岡さんにお願いして、体の使い方を意識させる練習を取り入れたり、フィジカルトレーニングを加えたり、体幹を鍛えたりして、身体的な面からも変えていった」
 岡トレーナーは「体の使い方を教えると飲み込みは早かった。普通の選手が1〜2年かけて覚える難しいトレーニングでも、大樹はすぐに覚えた」と、そのセンスに目を見張ったという。こうした取り組みは現在も継続しており、石井会長は「2年間かけて作り上げてきたフィジカルの強さで内山の技術をつぶす、そういう試合になる」と自信を示している。

 また、石井会長は「ボクシングに関しては決して器用ではない」という金子に本人のスパーリング映像や海外の一流選手の映像を見せるなど、イメージが伝わりやすいように工夫し、技術面、戦略面での改善も進めた。会長になってから事務室にあったテレビを練習フロアに移動し、海外の試合映像に練習中から触れられるようにもした。金子だけのためではなかったが、「そのうち、金子がオスカー・デ・ラ・ホーヤとかファン・マヌエル・マルケスなんかのビデオを買うようになって、こんな動きを練習したいと自分から言うようになった」と石井会長は述懐する。
「なぜ、この練習をするのか。きちんと考えて、意識するようになってから、課題も見えるようになったし、もっとこうすればと具体的に考えられるようになって、ボクシングがもっと楽しくなった」
 現在の金子があるのは、こうした日々の結実だが、周囲が与えたきっかけをものにすることができたのは、何より強い向上心があったからこそだろう。

金子にとって特別なWBAスーパーフェザー級王座

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 内山という存在も金子にとっては大きかった。内山は「自分とスタイル的に似ている」と金子を評しているが、裏を返せば、金子にとって内山はある意味、理想のボクシングを体現している目標でもあったのだ。
「参考にしていた部分はありました。近いところにそういう存在がいたのは、自分にとってプラスだった」
 その内山が今度は目の前に立ちはだかるが、「楽しみでしかない」と金子。
「チャンピオンも左ジャブから(展開を)作っていくボクシングだし、そこでうまく崩せるかどうか。最初のペースの取り合いが肝心だし、見ている人にもそこを楽しんでもらいたい」
 似ているのはスタイルだけではない。内山も決してエリートではなく、拓殖大学入学当初は補欠で、初めて優勝したのは大学最後の年だった。両者ともに、不断の努力と真摯な姿勢だけが自身を頂点に居続けさせ、頂点に連れて行くと知っている。そういう者同士の戦いでもある。
 だが、内山が持っているWBA世界スーパーフェザー級タイトルは、金子にとっては特別だ。当日はテレビ中継の解説者としてリングサイドから見守る、憧れの畑山隆則氏が持っていたベルトであり、すなわち、横浜光ジムが初めて獲得した世界のベルトでもある。自身の夢の実現という意味でも、新体制で再出発を果たしたジムとしても、これほど象徴的なベルトはない。
「運命を感じますし、これまでの集大成として、ジムにベルトを戻しますよ。できることを全身全霊でやれば、結果は必ずついてくる」
 果たして、世代交代はなるのか。盤石の王者を相手に若き実力者が想いを込めて挑む一戦は、2013年の日本ボクシング界を締め括るにふさわしい熱戦になるはずだ

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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