強小軍団が直面する昇格3年目の危機=J2漫遊記2013 ガイナーレ鳥取

宇都宮徹壱

守護神・小針が語る「勝てない要因」

鳥取の守護神・小針清允。神戸戦では2失点したものの、随所で鋭いファインセーブを連発した 【宇都宮徹壱】

 勝ち負けよりも、まずはクラブの存続。いささか誤解を招くかもしれないが、塚野の言葉にはJ2の地方小クラブに共通する苦悩が痛いほど感じられる。とはいえ、最下位から脱するための有効な手立てが見当たらないのは、フロントのみならず選手やサポーターにとっても辛いことだ。では、7月からずっと未勝利の状態が続いている今季の状況について、選手はどのように感じているのであろうか。クラブ事務所の会議室に通されて、待つこと10数分。ドレッドヘアをなびかせて190センチ近い大男が入ってきた。鳥取の守護神、小針清允である。あいさつもそこそこに、まずは先日の神戸戦を振り返ってもらった。

「自分たちがやろうとしていることは、やれている感じはあったし、手応えもありました。(1点リードで迎えた)ハーフタイムでは、前半やれたことはやれていると確認しつつ、後半の入りもしっかりやろうという話をしていたんです。ただ(廣田のシュートがポストを直撃した)あの瞬間、実は嫌な予感がありました。そう思っていたら、その通りになって(苦笑)。今季は多いんですよ、そういうのが」

 いささか自嘲気味に語る小針だが、2つの失点を喫してしまったものの、後半には少なくとも2度のファインセーブを見せている。神戸との戦力差を考えるなら、むしろ「よくぞ2点で抑えた」と言ってもよいだろう。プロ18年目の36歳。J1からJFLまで3つのカテゴリーで、さまざまなクラブを渡り歩きながらゴールマウスを守り続けてきた、その経験値はやはり伊達ではない。だからこそ、失点してからのチームの極端なバイオリズムの低下も、小針には手に取るように把握できていた。

「失点した時、個々の選手は『まだまだいける』と思っていても、チーム全体でガクっとダメージがくる感じなんですよね。あの時点で、まだ30分以上の時間があったのに、ですよ。つまり、トータル90分での1試合でとらえるのでなく、直近の1失点でダメージを受けてしまう。(なかなか勝てない要因は)そこにあると思います。試合後の雰囲気は、もちろん重苦しかったですよ。それでも、何とか前向きに切り替えていこうという話は、選手同士でしていましたね」

鳥取への愛情と「落としてはいけない」という責任感

キャリアの晩年を鳥取で迎えようとしている小針。36歳となった今でも、その発言は常に前向きだ 【宇都宮徹壱】

 小針のフットボーラーとしてのキャリアは、まさに「正GKの座」を巡る闘争の歴史そのものである。読売ユースから1996年にトップチームに昇格したものの、この時のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の守護神は菊池新吉と本並健治であったため、5シーズンで4試合の出場機会にとどまった。その後、01年に神戸への移籍を志願するも、ここでも出番に恵まれずに翌02年にベガルタ仙台へ。高桑大二朗という良きライバルにも恵まれ、正GKの座を確保した時代もあったが、最終的には林卓人にその座を譲ることとなった。08年からは、当時JFLだった栃木SCに移籍し、J2昇格に大きく貢献するものの、クラブが若返りの方針を打ち出したため、09年オフに戦力外となった。

「で、その年のトライアルで声をかけてくれたのが、鳥取のGMだった竹鼻(快)さんでした。『ウチは2年連続でJ2昇格を逃しているので、センターラインの陣容をしっかりしたものにしたい。他のポジションについては、ある程度は固まっている。GKのポジションで、ガイナーレで昇格のために戦ってくれないか』というようなことを言われました」

 ちなみに「他のポジション」とは、MFの服部年宏と美尾敦、DFの喜多靖、内間安路など、まさに「強小軍団」と言える面々だ。GMの竹鼻は、当時34歳。大卒プロパーで入ったベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)で、フットボールクラブに関するさまざまな役職のノウハウを学び、07年に「何もない土地でイチからJクラブを立ち上げる仕事がしたい」と、それまで縁もゆかりもなかった鳥取に身を投じることになる。その後、鳥取をJ2のクラブに押し上げて以降は、東北リーグ1部だった福島ユナイテッドFCのクラブダイレクターに転じ、JFL昇格に尽力した。あくまで個人的な見解だが、現場もマネジメントも両方を見ることができる竹鼻が、もしあのまま鳥取のGMにとどまっていたら、今季の戦いはこれほど苦しいものにならなかったように思う。余談ながら、服部や美尾といった当時の主力は、竹鼻がいなくなってから次々と鳥取を離れてしまった。

 話を小針に戻す。プレーヤーとして、再びJFLでプレーすることについては、やはり若干のためらいはあったと打ち明ける。しかもクラブのホームタウンは鳥取。東京育ちの当人にとっては「砂丘以外に何も思い浮かばない」土地であった。幸い、家族も一緒に来てくれることに同意してくれた。もちろん生活に不便を感じることも少なくないが、生活環境の近くに海も山も川もあり、食べ物も水もおいしいので子供たちを育てる上では申し分ない。地元の人々も排他的かと思ったら、実に親しみを込めて声をかけてくれる。気が付けば、鳥取という小さな街を、心から愛している自分に気がついたという。

 今から20年前の1993年、日本で開催されたU−17世界選手権(現U−17ワールドカップ)出場経験がある小針も、そのキャリアの最後を鳥取で迎えようとしている。プロ人生で初めて、3ケタの出場数を刻んだクラブは、しかし今、泥沼の連敗街道から脱出できずにもがき続けている。「落ちることに対してのプレッシャーより、落としてはいけないという責任感のほうが今は強いですね」と語る小針。残留争いは03年の仙台でも経験済みだが(結果としてJ2降格)、J2からの降格の危機というのはベテランの彼にとっても未体験ゾーンだ。最後に、今のチームに最も必要なものは何か、問うてみる。しばらくの沈黙ののち、鳥取の守護神は自らに言い聞かせるように、こう語った。

「すごくシンプルですけど、勝利に対する貪欲さ。勝てていないからこそ、そういうメンタル面での貪欲さが必要だと思います。もちろん相手の状況もあると思いますが、まずは自分たちがやり切ることが大前提。その中で、何が自分にできるか。どうチームに貢献できるのかを考えていきたいです」

<文中敬称略。つづく>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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