ベルギー代表が待つブリュッセルへ=日本代表欧州遠征取材日記(11月17日)

宇都宮徹壱

オランダ戦翌日の日本代表

日本の背番号10からサインしてもらう。子供たちにとっては一生の宝物となることだろう 【宇都宮徹壱】

 オランダ戦から一夜明けた。この日は4日間滞在したゲンクに別れを告げて、19日のベルギー戦が行われるブリュッセルに移動する。その前に日本代表の午前中の練習を見ておこうと、クリスタル・アレナ近くのサブグラウンドに向かうことにした。
 代表チームが連戦する場合、1試合目が終わった翌日は移動の前にリカバリーのトレーニングをすることが多い。基本的に練習は全面公開で、落ち着いて選手のコメントを拾うこともできるので、取材者としては貴重な機会となっている。

 練習会場に到着して、まず驚かされたのがギャラリーの多さである。この日のトレーニングは、一般にも公開されていたのだが、練習コートの半分をぐるりとギャラリーが取り囲んでいる。その数、ゆうに1000人はいただろうか。
 そのうちの半分くらいが学童だったので、ベルギーをはじめ、オランダやドイツ駐在の日本人が大半を占めていることは容易に想像できる。この日は日曜日ということもあり、静かなゲンクの街は前日のオランダ戦に続いて、日本人のためのイベント会場と化していた。

 子供たちの楽しみはもちろん、代表選手たちのサインである。メディア対応を終えた選手たちが姿を現すと、あちこちからわき起こる「サインくださーい!」という黄色い声。選手たちは快くこれに応じ、色紙に、シャツに、学習ノートに、次々とサインをしたためる。誰ひとりとして、面倒くさそうな表情を見せず、快く応じているのには感心した(以前はそういうのが苦手な選手が、ひとりやふたりはいたものである)。
 最近の代表選手がファンサービスに前向きなのは、やはり欧州でプレーする選手が増え、「プロとしての当然の義務」という考えが浸透したことも影響しているのかもしれない。

 選手たちの表情が明るいのは、もちろん昨日のオランダ戦の結果も多分に反映しているのだろう。しかし、だからといって決して満足しているわけでもなさそうだ。キャプテンの長谷部誠(ニュルンベルク)は、チームの雰囲気が改善されたことは認めながらも、次のベルギー戦に向けても積極的な姿勢で臨むことを強調していた。

「確かにポジティブなゲームをしたことで、チームの雰囲気は良くなっています。でも、オランダが本調子でなかったことは、みんな分かっていたので(引き分けで)満足している選手はいないですね。ベルギー戦ですか? オランダと比べて個人能力が高いぶん、まとまりがあまり感じられないところがあるので、十分に付け入る隙はあると思います」

コスモポリタンな街・ブリュッセル

ホテルのチェックインを済ませてブリュッセルの中心街を散策。趣のある古い建築物が多い 【宇都宮徹壱】

 クリスタル・アレナでの取材を終えてから、列車で首都のブリュッセルへ。およそ2時間弱の移動である。途中、牧草地帯の牛や羊を見て和やかな気分になったが、上空に低くたれこめた雲には何とも辟易とさせられる。ヨーロッパの人々にとっては、当たり前の冬の風景なのだろうが、からりと晴れた冬の空を知っている日本人には、これが毎日続くのかと思うと陰鬱な気分になる。そうした環境で日々の生活を送っている、欧州組の選手たちの大変さを想った。

 ブリュッセル中央駅に到着して、まず気付いたのがワッフルだかクレープだか、とにかく何とも甘ったるい匂い(一瞬、原宿にいるような錯覚に陥った)。そしてオランダ語とフランス語による構内アナウンスであった。
 それまでいたゲンクは、どこにいても聞こえてくるのはオランダ語ばかり。ところが、同じオランダ語圏(すなわちフランデレン地域)に属しているはずのブリュッセルでは、やたらとフランス語が聞こえてくる。実は首都のブリュッセルは、オランダ語とフランス語を共に公用語とする「両語圏」とされており、住民の7割がフランス語を母語としていると言われている。

 ゲンクと比べると大都市の印象が強いブリュッセルだが、それでも人口は域内を含めて100万人ほど。ただし、この街はベルギーのみならず「EUの首都」としての顔も持ち合わせている。実際、街を歩いていると、さまざまな肌の人とすれ違う。タクシーの運転手は南アフリカ、ホテルのフロントはルワンダ、スーパーマーケットの店主はパキスタンの出身者だった。13年前のユーロ(欧州選手権)で当地を訪れた際はあまり意識しなかったが、ブリュッセルはパリに負けず劣らずのコスモポリタンな都市であった。

 そうして考えると、ベルギー代表が首都ブリュッセルで試合をすることは、単なる興行的な側面だけにはとどまらないように思えてくる。今回の招集メンバーでいえば、ロメロ・ルカク(エバートン)はコンゴ民主共和国、ムサ・デンベレ(トッテナム)はマリ、マルアン・フェライニ(マンチェスター・ユナイテッド)とナセル・シャドリ(トッテナム)とザカリア・バカリ(PSV)はモロッコにルーツを持ち、ラジャ・ナインゴラン(カリアリ)は父親がインドネシア人だ。エデン・アザール(チェルシー)やトビー・アルデルワイレルト(アトレティコ・マドリー)のようなネイティブなベルギー人に加え、そうしたさまざまなルーツを持ったプレーヤーの集合体である現在のベルギー代表は、98年ワールドカップで地元優勝を果たしたフランス代表を想起させる、まさに多元的でEUの首都を舞台に戦うに相応しい存在であると言えよう。そして19日のベルギー戦は、オランダ戦とは比べ物にならないくらい、厳しいアウエーの環境の中で行われるはずだ。

<翌日につづく>
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント