セルビア第2の都市にやってきて=日本代表欧州遠征取材日記(10月8日)

宇都宮徹壱

なぜベオグラードでなくノビサドなのか?

ノビサドの観光スポット、スロボデ広場。中央にある教会は「マリアの名聖堂」という 【宇都宮徹壱】

 10月7日(現地時間)、セルビアの首都ベオグラードに向かう。数人の日本代表選手と一緒の飛行機だったので、さりげなく観察してみる。みな一様に、神妙な表情。無理もない、セルビアなんて私のようなモノ好きでない限り、なかなか行く機会のない国である。治安が悪いのではないか、戦争の影響で殺伐としているのではないか、食べ物や水は大丈夫なんだろうか、などなど。気になることは山ほどあるだろう。だが、心配ご無用。現地に行けばきっと「意外といいところじゃない?」という印象を受けるはずだ。何度もかの国を訪れ、ベオグラードを「心の故郷」としている私が言うのだから、間違いない。

 そんなわけで本日より、セルビアとベラルーシで行われる日本代表の欧州遠征レポートを、(ほぼ)毎日お送りすることにする。どちらの国も、日本人にとってはなじみの薄い国。個人的には、セルビアはユーゴスラビアの時代から足繁く通っていたのに対し、ベラルーシは欧州で数少ない未踏の地である。日本にとっては、いずれもアウエーの地で戦うのが初めての相手であり、取材者としてその場に立ち会えることは非常にうれしい限り。ゆえに、今回の遠征が発表されたときは「なんて素晴らしいカードを組んでくれたのだろう。原さん(博実=JFA技術委員長)、ありがとう!」と心から感謝したものである。ただし、ここでひとつ解せないことがあった。11日に行われるセルビア戦の会場が、なぜかベオグラードではなく、ボイボディナ自治州のノビサドで行われるというのである。

 ベオグラードには、レッドスターとパルチザンという2つのビッグクラブがあり、レッドスターのスタディオン・ツルベナ・ズべズダは5万5500人、パルチザンのパルチザン・スタジアムは3万2700人の収容。どちらも国際試合を開催するには申し分ないキャパシティーだ。ところがセルビアサッカー協会は、あえて国内第3のクラブ、FKボイボディナ・ノビサドのホームスタジアムであるカラジョルジェ・スタジアムを開催地に選んだ。キャパは1万5500人、いささか手狭な感は否めない。そもそもベオグラードからは、バスもしくは列車で移動しなければならないのも、面倒といえば面倒だ。なぜ、会場がノビサドなのか。自分でもいろいろと調べてみたのだが、現時点で納得できる回答は見つかっていない。

遠藤、長谷部が不在の中、細貝がアピール

この日の代表の練習は、システムを変えながらの戦術確認に多くの時間を割いていた 【宇都宮徹壱】

 ベオグラードで1泊して翌8日の朝、バスでノビサドへ移動。高速道路に入ると、見渡す限りの平原が広がっている。道路がきちんと舗装されておらず、車内がガタガタと揺れっぱなしなのは、いかにもセルビアの旅らしい。途中、事故車による渋滞はあったものの、1時間半ほどで目的地に到着する。駅前からホテルまで歩きながら、街並みを観察する。予想したとおり、ベオグラードに比べるとずい分と小さな街だ。それでもノビサドは、セルビアで2番目に大きな都市であり、ここにはセルビア人、ハンガリー人、クロアチア人、スロバキア人など、実に26以上の少数民族が身を寄せ合って暮らしている。

 さっそく、この日の日本代表の練習について触れておこう。招集メンバー23名のうち、遠藤保仁が左足首のねんざのため別メニューで調整。そしてキャプテンの長谷部誠も「疲れが残っている」とのことで、ホテルで休養をとることとなった。久々にトレーニングが全面公開となったものの、ボランチの主力2人が欠けていたため、フォーメーションの練習ではワンボランチで対応するしかない。2つのグループに分かれて、それぞれ4−1−3−1と3−3−3のシステムを交互に取り入れながら、コンビネーションの確認に多くの時間が割かれていた。

 そんな中、とりわけアピールしていたのがワンボランチのポジションで軽快な動きを見せていた細貝萌である。バイヤー・レバークーゼンからヘルタ・ベルリンに移籍した今季、ボランチでの出場機会を増やして、久々の代表招集となった。本人も密かに手応えを感じている様子。「去年の後半は、チームでの出場機会が限られていたこともあって代表にもあまり貢献できなかった。今は(ボランチのポジションで)いいプレーができている。もっと代表でも力になりたい」と意欲を見せる。遠藤も長谷部も、コンディション的にはそれほど深刻ではないようだが、細貝にもスタメン出場のチャンスは十分にあり得るだろう。

 取材後、ホテルに戻ろうとタクシーを探していたら、練習を見学に来ていたFKボイボディナのスタッフが「私の車で送っていくよ」と申し出てくれたので、ご好意に甘えることにする。道中、なぜノビサドで日本戦が行われるのか、彼に尋ねてみた。

「さあ、わたしにも詳しい理由は分からない。ただ(シニシャ)ミハイロビッチ監督は、ここで試合ができるのはうれしいだろうね。彼はボイボディナでプロになり、レッドスターに移籍して、それからASローマ、サンプドリア、ラツィオ、インテルでもプレーした。彼にとっては、ここはホームタウンのようなものだよ」

 果たして、今回のノビサドでの試合は、ミハイロビッチの意向によるものだったのだろうか。機会があればぜひ、本人に確認してみたいものだ。

<翌日につづく>
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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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