札幌の未来を握る「のんのん革命」=J2漫遊記2013 コンサドーレ札幌

宇都宮徹壱

人気面では日ハムに追い抜かれた感があるも

札幌の街では日ハムと比べてコンサドーレの露出は非常に限られている 【宇都宮徹壱】

 野々村は1972年生まれの41歳。慶應義塾大学を経て95年にジェフユナイテッド市原(現千葉)に加入。5シーズンプレーしたのち、2000年にコンサドーレ札幌に移籍し、翌年に現役を引退している。わずか2シーズンのみのプレーであったが、その強烈なキャプテンシーと堅実かつ献身的なプレー、そして気さくなキャラクターで札幌のサポーターの心をわしづかみにした。それまで北海道とは縁もゆかりもなかった野々村だが(出身は静岡)、当人もこの地には良い思い出しかないという。

「こっちに初めて来たときに、札幌の人たちが相当に応援してくれたんですよ。当時はプロ野球(北海道日本ハムファイターズ)もなかったので、メディアの露出も圧倒的に多かった。誤解を恐れずに言えば『初めてプロのサッカー選手になれた』という感じでした。だからいい印象しかない。ただしプロ野球が来てから、状況は変わりました。資本も広告費も、こっちとは比較にならない。全く違うビジネスです。こっちは、なかなかカジュアルな人たちに届かないというジレンマがありますね」

 東芝堀川町サッカー部が、北海道に拠点を移してコンサドーレ札幌となったのが96年。そして日ハムが北海道に移転してきたのが04年。8年ものアドバンテージがあったにもかかわらず、今ではコンサはすっかりファイターズに人気面で追い抜かれた感がある。そういえば札幌市内の地下鉄に乗ると、時折ファイターズのラッピングが施された車両が構内に入ってきてびっくりすることがある。それに比べると、街中で見るコンサの露出は極めて限定的だ。それでも野々村は、彼我の差を決して悲観することはない。なぜならサッカーは、ワールドワイドなスポーツだからだ。

「たとえば今、日ハムの大谷(翔平)選手が話題になっていますが、ウチにも深井一希という選手がいます。2年前のU−17ワールドカップ(W杯)に出場して、今年からトップに上がった18歳です。今は大谷選手の方が断然有名ですが、今後は深井の方に海外からの注目度が高まるかもしれない。そうした感覚というものを、もっとメディアも持ってほしいですよね。もちろん、僕らからもどんどん発信していかないといけないんですが」

 アカデミーからトップに昇格し、その後J1の強豪クラブに完全移籍した成功例として、いつも挙げられるのが西大伍(現鹿島アントラーズ)である。野々村の話を聞いていると、コンサ出身の若いタレントが今後、ヨーロッパのクラブから直接オファーを受ける可能性について夢想したくなる。バルセロナのような哲学を掲げ、ビルバオのような育成の土壌をさらに豊かにしていけば、コンサドーレ札幌は他のJクラブには見られなかった興味深い進化を遂げるかもしれない。もちろん「のんのん革命」は、まだ始まったばかりだが。

「とりあえず今は、2年でクラブライセンスを剥奪されないように頑張るだけです。コンサドーレは17年の歴史がありますが、これまでやってきたことをなぞっていてもダメだと思います。チームの露出の仕方、選手の売り出し方、お金の集め方、それらすべての仕組みを変えるところからやっていかないと。ですから最近は考えることが多いですね。可能性のあることは、何でもチャレンジします。あと3〜4年くらいで、面白い感じになっていけばいいかなと思っています」

レ・コン・ビン移籍に見る札幌の新たな戦略とは?

「可能性のあることは、何でもチャレンジ」。野々村社長の次の一手は? 【宇都宮徹壱】

「可能性のあることは、何でもチャレンジします」――野々村のこの発言の真意は、インタビューから2週間後の7月22日、その一端が明らかになる。札幌がベトナム代表のレ・コン・ビンの加入を発表したのだ。Jリーグが進めるアジア戦略に沿いながらも、独自のルートと戦略で東南アジアのビッグネームを獲得したことについては、道内のみならず日本中のサッカーファンから注目を集めることとなった。野々村は、クラブの未来を育成のみに委ねるのではなく、全く異なる戦略的アプローチも準備していたのである。そこで本稿を締めくくるにあたり、今回のレ・コン・ビン加入に関するクラブの戦略について、当人に問うてみることにしたい。

――レ・コン・ビン選手の今回の移籍について、本国ベトナムでもかなり話題になっているとの報道がありました。現時点でどのようなメリットをクラブにもたらしていますか?

 おっしゃるとおり、海外、特にベトナムからのアクセスが相当に増えましたね。もちろん日本国内でも、普段は注目してくれないようなメディアが注目してくれました。それと「コンサドーレ札幌」というクラブが、アジアの人々に興味を持ってもらえている。これまでは広告費がなくて、なかなか外に対して宣伝が打てなかったわけですが、皆さんがこの話題を扱ってくれた。そこに一番のメリットを感じますね。

――ベトナムのスター選手が札幌でプレーすることの効果について、ピッチ内とピッチ外でそれぞれ挙げてください

 まずピッチ内から。サッカー選手としての能力が、日本人と比べてどうかというのは、物差しがないから正直まだ分かりません。それでも国を背負って、サッカーをするために来日した彼のメンタリティーは、練習でも周りに相当いい影響を与えると思います。サッカーでなんとか成功しなければいけないという思いが、トレーニングを見ているだけでも伝わってくるので、特に日本の若い選手にいい影響を与えるのではないかと思います。

 ピッチ外については……そうですね。もし、ASEAN(東南アジア諸国連合)の選手もJリーグでやれることが証明されれば、その地域の子供たちにも「将来の夢はJリーガー」と思ってもらえるかもしれない。そうなったら、すごいことですよね。今いる何倍もの子供たちが夢見るJリーグになったらいいなと思っています。

――スポンサーであるサッポロビールが、2年前からベトナムの工場を稼動させていると聞きました。今回の移籍と関連はあるのでしょうか?

 直接はありません。でも、僕らはサッポロビールさんとずっと一緒にやってきて、サポートしていただいています。もし、サッポロビールさんにとってメリットになることがあるなら、それは恩返しという意味でもクラブがやらなければいけない。今回のアジアへの進出は、どちらかというとスポンサーさんに何かをしていただくというより、何かをお返しするというような発想の方が強いですね。

――札幌のアジア戦略は、サッカーだけにとどまらず、企業進出や観光誘致といった側面もあるように感じられます。その点についてはいかがでしょうか?

 サッカークラブは、サッカーだけやっていればいいというものではないです。世界に出ていって、自らの役割を果たすことができるのもサッカークラブだと思っています。観光誘致でも、企業進出でも、何かしら地元の役に立てればいい。現時点で具体的に決まっているものはありませんが、将来的に「コンサドーレ札幌」というサッカークラブを使って、北海道の人とアジアの人がつながるとか、こっちの企業とアジアの企業がつながるようになればいいなと思っています。

――最後の質問です。今後、さらにこの動きを加速させるために、どのようなプランをお持ちでしょうか?

 今までいろいろと取り組んできた中で、一通りの“種まき”は終わっているという認識です。今後、どこで何が起こるかをしっかりと見極め、チャンスがあればしっかりつかむという準備さえしておけばいいのかなと思っています。

<了>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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