マルティーノがバルサに保障する継続路線=新監督の経歴から見るクラブの行方

大きな影響を受けた2人の人物

スペインメディアはマルティーノを“ビエルシスタ”と紹介したが、実際はビエルサ監督とプレー哲学も違う 【写真:MarcaMedia/アフロ】

 マルティーノがマルセロ・ビエルサの後継者ではないということも、はっきりしておくべきだろう。彼の名がバルセロナの新監督候補に浮上した際、大多数のスペインメディアが彼を“ビエルシスタ”と紹介していたからだ。その振る舞いや人柄についてはそう言えるかもしれないが、昨季までアスレティック・ビルバオを率いたビエルサがチームに求めていたハイテンポなプレースピードは、マルティーノのフットボールには見られないものである。実際彼は、ビエルサの指揮下でプレーした選手時代のエピソードとして、ビエルサには必要以上に走らされたものだと懐かしげに振り返っている。

 これまでマルティーノは「自身は複数の監督からフットボールを学んできた、ビエルサはその中の1人だ」と繰り返し話してきた。中でも88年にニューウェルスをリーグ優勝に導いたホセ・ジュディカ、元レアル・マドリーの選手であるサンティアゴ・ソラーリの叔父であり、マルティーノをテネリフェに連れて行ったホルヘ・ソラーリの2人には、ビエルサと同様に独自のプレー哲学を確立する上で大きな影響を受けたという。

人生を一変させるバルセロナ就任のチャンス

 マルティーノが監督に就任した当時のニューウェルスは2部降格の危機に瀕していた。だが彼は希望を捨てることなく、下部組織の選手を積極的に登用し、またクラブOBのベテラン選手を呼び戻すことでチームのニューウェルス色を強めた。その上で、ボールポゼッションをベースとしたスタイリッシュなフットボールを実践するためのプロジェクトに着手した。その結果がアルゼンチン後期リーグ優勝、そしてコパ・リベルタドーレス準決勝進出という形で実を結んだのである。

 そしてそのニューウェルスは、他ならぬ監督のマルティーノをヨーロッパへ送り出すことになる。くしくもコパ・リベルタドーレスで勝ち進んでいたため、6月に受けたマラガやレアル・ソシエダのオファーを断っていた彼の人生は、ちょうどクラブを退任した直後にバルセロナを率いるチャンスが訪れたことで一変したのだった。

マドリーとの論争は期待しない方がいい

 マルティーノは物静かで理性的、かつオープンな性格の持ち主で、非常に研究熱心な男だ。また語彙(ごい)が豊富でコミュニケーション能力に長け、謙虚で真面目でメディアともフットボール関係者とも良好な関係を築いてきた。今後起こりうるライバルクラブとの論争について就任会見で問われた際、彼は「私はフットボールに身を捧げるために来た。そういったことは期待しない方がいい」と答えていた。

 マルティーノは今、間違いなく人生最大のチャンスを前にしている。また彼はバルセロナにて、同郷のリオネル・メッシを指導するという夢を実現することにもなる。80年代に活躍した現役時代のマルティーノは、ニューウェルスファンであるメッシの父ホルヘにとってアイドル的存在だった。

 もしかするとマルティーノは今季、少し前までバルセロナが誇っていた驚異的な強さを取り戻すための改善策を提供できるかもしれない。

 いずれにせよ、クラブが選んだ方向性に疑いの余地はない。アンドニ・スビサレッタSD(スポーツディレクター)が就任会見で言っていた通り、マルティーノは継続路線を保障することは間違いないからだ。

<了>

(翻訳:工藤拓)

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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