マルティーノがバルサに保障する継続路線=新監督の経歴から見るクラブの行方

バルセロナとアイデンティティーを共有する新監督

バルセロナの哲学の継続を語ったマルティーノ新監督。かつての強さを取り戻す契機になるのか 【Getty Images】

 ヘラルド“タタ”マルティーノはわずか数時間のうちにスペインメディアとバルセロナのファンを安心させることに成功した。クラブが培ってきたプレー哲学や既存のシステムはそのままに、そのプレーを発展、進化させるために彼はアルゼンチンから来たのだと、皆に理解させたからだ。

 マルティーノがニューウェルス・オールドボーイズを率いた1年半で作り上げてきたフットボールは、彼自身が指摘した2つの重要な相違点を除き、バルセロナが何年も前からアイデンティティーとしてきたものと変わらなかった。バルセロナと異なる点の1つは、4−3−3のシステムを用い、可能な限り長くボールを支配するようなプレースタイルは、肉弾戦と守備戦術が横行するアルゼンチンのスタンダードとはかけ離れたものだったこと。そしてもう1つは、彼のチームには国際舞台で活躍する選手、活躍していた選手はいたものの、バルセロナが擁するようなハイレベルなテクニックを持つ選手はいなかったことである。

 ニューウェルスで活躍した有望株の1人、センターバック(CB)のサンティアゴ・ベルジーニは、今夏バルセロナに移住する可能性が報じられ始めた選手だ。またメキシコからアルゼンチンへ戻ってきたイグナシオ・スコッコは、前線で相手CBと駆け引きを繰り返す本来のセンターFWとしてではなく、バルセロナのリオネル・メッシと同様の役割をマルティーノから要求され、いわゆる偽センターFWとして素晴らしいパフォーマンスを見せた。

 結果としてスコッコは「良い選手」から「素晴らしい選手」へと評価を高め、650万ドルの移籍金を残してブラジルのインテルナシオナウに移籍していった。今や南米有数のストライカーに成長した彼は、アルゼンチン代表の一員として来年のワールドカップ(W杯)に出場する可能性も出てきている。

パラグアイ代表監督を経て備えた柔軟性

 カタルーニャのフットボールファンやヨーロッパのメディアにとって、マルティーノの知名度がさほど高くないことは理解できることだ。だがマルティーノは選手時代にテネリフェでプレーした経験がある(くしくもリーガ・エスパニョーラのデビュー戦はカンプノウでのバルセロナ戦だった)。その後監督としてはパラグアイのリベルタやセロ・ポルテーニョをリーグ優勝に導いただけでなく、2010年のW杯ではパラグアイ代表を率いてスペインを準々決勝敗退まであと一歩のところまで追いつめた。あれはパラグアイのオスカル・カルドソ、スペインのシャビ・アロンソが立て続けにPKを失敗するドラマチックな一戦だった。

 当時のパラグアイは昨季までのニューウェルスやバルセロナが何年も前からアイデンティティーとしているフットボールとは異なるスタイルでプレーしていたため、批判の対象となることも多々あった。だがそれは最終的に、彼に優れた監督が持つ重要な能力を加えることになる。選手たちに自身が合わせる柔軟性である。彼には4−3−3のシステムを用いたポゼッションスタイルという明確な理想像がある。だが実際には選手たちの特性を生かし、彼らが慣れ親しんできたフットボールに合致したスタイルでチームを作る必要がある。カンプノウで行われた就任会見でも、マルティーノはその点を主張していた。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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