松山英樹を育てた父親の育成法
マスターズ初出場でローエストアマ
もちろん8人が揃って好成績を挙げることを願ってはいるが、中でも今年の『全米オープン』で初出場ながら10位タイに入り、次回の出場権も獲得するという大健闘を見せてくれた松山英樹に期待が集まる。松山は、2010年の『アジアパシフィックアマチュア選手権』優勝の資格で、2011年の『マスターズ』に初出場。いきなりローエストアマに輝く金星を挙げた。昨年の『マスターズ』でもあわやローエストアマ2連覇かという活躍もあった。とにかく松山英樹と言えばこうした戦歴から「大勝負に強い」という印象が強烈だが、それはメンタルの強さと言い換えてもいいだろう。
執着心のない子供が飽きなかったゴルフ
おもちゃを与えても、すぐに友達にあげてしまうほど、松山は執着心のない子供だったが、なぜかゴルフだけはまったく飽きず、原っぱで黙々とボールを打って遊んでいたという。松山の家庭はそれほど裕福ではなく、練習場へも滅多に連れて行くことはなかった。しかし、ゴルフに夢中になっている息子のために、幹男さんは一大決心をする。「自分もゴルフがもっとうまくなって、この子に上の世界を見せてあげよう」と。
キャディ帯同で間近で見た一流のプレー
松山が小学4年のとき、幹男さんは『中四国オープン』に出場した際、息子をキャディとして帯同することを願い出て許可された。『日本アマチュア選手権』のときもキャディは中学3年の松山だ。ちなみにこの大会には石川遼は選手として出場していた。息子を帯同キャディにした理由を幹男さんはこう語る。「強い選手がどんなプレーをするのかを息子に、間近で見せたかった。どんなタイミングでアドレスに入るのか。それが乱れるのはどんなときなのか。私が英樹に一番見せたかったのは、技術よりメンタルです。それが試合の中でどう変わるかとか。呼吸がどう変わるかとかルーティーンの変化です」と。こうして松山のメンタルが鍛えられて行った。
実は、今の松山では信じられないことだが、松山の弱点は飛距離だった。50歳を過ぎた幹男さんの飛距離270ヤードに、松山は20ヤード近くも及ばない。幹男は、どうやれば飛ぶようになるのか伝授して東北福祉大に送り込んだという。圧倒的な飛距離で物怖じしないゲーム運び見せる日本の期待はこうして育てられたのだった。
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