松山英樹を育てた父親の育成法

マスターズ初出場でローエストアマ

 日本時間7月18日に『第142回全英オープン』が開幕する。会場となるスコットランドのミュアフィールドに27カ国から156人の選手が集まり、日本ツアーのメンバーは14人で、そのうち日本人選手は総勢8人だ。昨年の『日本オープン』優勝者・久保谷健一、昨年の日本ツアー賞金ランキング1位・藤田寛之と2位・谷口徹。今年2月28日〜3月1日にタイで行われた『全英オープンアジア地区予選』で上位4人に入り資格を獲得した松山英樹、丸山大輔。今年の開幕から『〜全英オープンへの道〜ミズノオープン』までの賞金ランキング上位2人の資格で小平智。さらに『〜全英オープンへの道〜ミズノオープン』上位4人の資格で井上信と片山晋呉という顔ぶれである。

 もちろん8人が揃って好成績を挙げることを願ってはいるが、中でも今年の『全米オープン』で初出場ながら10位タイに入り、次回の出場権も獲得するという大健闘を見せてくれた松山英樹に期待が集まる。松山は、2010年の『アジアパシフィックアマチュア選手権』優勝の資格で、2011年の『マスターズ』に初出場。いきなりローエストアマに輝く金星を挙げた。昨年の『マスターズ』でもあわやローエストアマ2連覇かという活躍もあった。とにかく松山英樹と言えばこうした戦歴から「大勝負に強い」という印象が強烈だが、それはメンタルの強さと言い換えてもいいだろう。

執着心のない子供が飽きなかったゴルフ

 松山がクラブを手にしたのは4歳のころ。父の松山幹男さんの練習に付いて行って「僕もボールが打ちたい」と言い出し、幹男さんが中古の9番アイアンを短く切って与えたのが始まりだった。もちろんスイングの手ほどきも幹男さんによるものだ。いくらシャフトを短くしても、やはり4歳の子では振ればふらつき、姿勢も悪くなる。それを矯正して背筋が真っ直ぐになるように注意するのが、幹男さんによるレッスンの基本だったという。

 おもちゃを与えても、すぐに友達にあげてしまうほど、松山は執着心のない子供だったが、なぜかゴルフだけはまったく飽きず、原っぱで黙々とボールを打って遊んでいたという。松山の家庭はそれほど裕福ではなく、練習場へも滅多に連れて行くことはなかった。しかし、ゴルフに夢中になっている息子のために、幹男さんは一大決心をする。「自分もゴルフがもっとうまくなって、この子に上の世界を見せてあげよう」と。

キャディ帯同で間近で見た一流のプレー

 それまでの幹男さんは、たまに仲間内のコンペに誘われると、付け焼刃のように練習場へ球を打ちに行く程度のゴルファーだった。それが、ゴルフ場の会員になり、月例や研修会に出るようになった幹男さんは、必ず息子を連れて行った。父のプレーが終わるまで、松山はアプローチの練習をして待つ。その時間が松山の小技を磨いた。やがて幹男さんの腕前は、クラブレベルから四国レベルへ。ついには52歳にして、『日本アマチュア選手』に初出場するまでなった。

 松山が小学4年のとき、幹男さんは『中四国オープン』に出場した際、息子をキャディとして帯同することを願い出て許可された。『日本アマチュア選手権』のときもキャディは中学3年の松山だ。ちなみにこの大会には石川遼は選手として出場していた。息子を帯同キャディにした理由を幹男さんはこう語る。「強い選手がどんなプレーをするのかを息子に、間近で見せたかった。どんなタイミングでアドレスに入るのか。それが乱れるのはどんなときなのか。私が英樹に一番見せたかったのは、技術よりメンタルです。それが試合の中でどう変わるかとか。呼吸がどう変わるかとかルーティーンの変化です」と。こうして松山のメンタルが鍛えられて行った。

 実は、今の松山では信じられないことだが、松山の弱点は飛距離だった。50歳を過ぎた幹男さんの飛距離270ヤードに、松山は20ヤード近くも及ばない。幹男は、どうやれば飛ぶようになるのか伝授して東北福祉大に送り込んだという。圧倒的な飛距離で物怖じしないゲーム運び見せる日本の期待はこうして育てられたのだった。
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著者プロフィール

長らく週刊ゴルフダイジェストでトーナメント担当として世界4メジャーを始め国内外の男子ツアーを取材。現在はフリーのゴルフジャーナリストとして、主に週刊誌、日刊誌、季刊誌になどにコラムを執筆している。

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