躍進著しいマインツが岡崎に寄せる期待=熾烈を極める前線のポジション争い
小規模ながら、躍進が目覚ましいマインツ
コンフェデ杯での活躍が認められマインツ05への移籍を果たした岡崎(左)。成長著しいこのクラブで活躍することはできるのか 【Getty Images】
バーデン=ヴュルテンベルク州の州都から人口40万人弱のマインツへの転勤は、数年前なら後退とみなされたかもしれない。「ディー・ヌルフィンファー」(ドイツ語で「05」。クラブの愛称)は今日、大工業都市のシュツットガルト相手にも、もはやピッチ上でコソコソすることなどない。シュツットガルトはカップ戦ファイナリストとして来季のヨーロッパリーグに出場するが、メーンの仕事場であるブンデスリーガでのここ数年の戦いぶりは、マインツだってひけをとらない。50周年だった2012−13シーズンのブンデスリーガで、両チームの順位は1つしか違わなかったのである。両者の間の勝ち点差も、わずかに「1」だった。
マインツを数年かけて強化したのは、ユルゲン・クロップだった。そう、現在ボルシア・ドルトムントを率いる指揮官が、クラブにとって初となるドイツ国内最高のステージへとマインツを引き上げたのだ。
ハイデルSDによってもたらされた近年の成功
08−09シーズンには前任のヨルン・アンデルセン監督がブンデスリーガ1部復帰に成功していたのだが、このノルウェー人監督はブンデスリーガ再開直前にロッカーを空けなければならなくなった。その際、マインツはリスクを冒した。U−19チームを率いていたコーチに、責任を託すことにしたのだ。
その勇気は報われることとなった。この数年、トゥヘルはドイツのモダンな戦術家として、自身の名を上げた。それと同時に、クロップとの比較論も落ち着きをみせていった。資金力はつつましいものながら、感情豊かな指揮官は超現代的な攻撃サッカーで、マインツの名をブンデスリーガで打ち立てることに成功したのだ。
クラブ史における近年の成功は、スポーツディレクター(SD)のクリスティアン・ハイデルの仕事の賜物(たまもの)でもある。かつて銀行家だった同氏がカーディーラーからマインツの運営へと転身を果たしたのは、それほど遠い昔の話ではない。29歳にしてボランティアとしてクラブ役員の任を引き継ぐと、プロフェッショナルなチームをつくるべく、移籍市場に乗り出した。
それから今日に至るまで、マインツはブンデスリーガで「ちょっと毛色の違ったクラブ」となっている。選手との交渉や記者によるインタビューを、ハイデルは自身の車販売会社のオフィスで行った。率直に言って、プロフェッショナルとは思えないことだった。1992年当時のことである。
だが、そののちマインツではほとんどすべてが一変した。クラブは国内のトップリーグで立場を確立し、自己流マネジャーのハイデルは今季もまた、移籍市場での舵(かじ)を取る。それでも選手を一流に鍛え上げてきたこのスモールクラブのステータスは、まだ大きく成長してはいないのだ。