ファーガソンとモリーニョの異なる去り際=称賛と遺恨を残したそれぞれの最後

無冠時代を耐え、国内最高のクラブに

マンチェスター・ユナイテッドに輝かしい歴史をもたらしたファーガソン。誰もが彼への賛辞を惜しまない 【Man Utd via Getty Images】

 責任ある職に就く者はいかにその職を辞すべきか。それは優れた人材がそろったグループをいかにしてうまくコントロールするかという仕事内容と同じくらい重要なテーマである。27年間マンチェスター・ユナイテッドを率いたサー・アレックス・ファーガソン監督の引退発表に際し、再びそのことを考えさせられた。

 ファーガソンはあらゆる栄誉を手に、マンチェスター・ユナイテッドを去る。彼はチャンピオンズリーグを2度、クラブワールドカップを1度、インターコンチネンタルカップを1度制しただけでなく、1986年の就任当時には12差をつけられていたリバプール(18度優勝)を抜き、クラブを国内リーグ最多となる20回優勝するチームへと押し上げた。

 そんな彼もマンチェスター・ユナイテッドに来た当初はなかなかタイトルに手が届かず、我慢の時期を強いられた。就任からの3シーズンは無冠が続き、国内リーグで優勝するまでには7年間を要した。だがフロントとファンは彼の哲学と仕事内容を信頼し続け、結果としてチームは輝かしい時代を迎え、ファーガソンの任期は71歳まで続くことになった。

 ファーガソンが成功を収めた秘訣(ひけつ)は何なのか? それは彼が持つ勝者のメンタリティーに加え、壮大なキャリアの中で率いてきたスター選手たちとの信頼関係の築き方、メディアとの適度な距離感の保ち方、タイミングを心得た発言の仕方といった、ピッチ外における駆け引きの巧みさにある。

一流の選手たちから止まない賛辞

 また、近年の彼はベンチに座りながら戦況を見守ることが多くなり、テクニカルエリアで頻繁に指示を飛ばす姿はあまり見られなくなった。自軍のゴールが決まった際も、まるでチームとは直接関係のない観客の1人であるかのように控えめな喜び方しか見せなくなった。それは恐らく、経験を重ねていく中で感情のバランスをコントロールする術を身につけたからなのだろう。

 マーク・ヒューズ、ポール・インス、エリック・カントナ、ノーマン・ホワイトサイド、ブライアン・ロブソン、ロイ・キーン、ヤープ・スタム、ピーター・シュマイケル、ルート・ファンニステルローイ、ファビアン・バルテズ、フアン・セバスティアン・ベロン、リオ・ファーディナンド、ディエゴ・フォルラン、クリスティアーノ・ロナウド、カルロス・テベス、ウェイン・ルーニー、そして今季加入したロビン・ファンペルシー……ファーガソンの下でプレーしてきたスター選手の名を挙げればきりがない。そして彼らのほとんどが人間として、プロとしてファーガソンに最大級の賛辞を送っていることは特筆に値する。

 ファーガソンはスター選手の心をつかむだけではなく、クラブ生え抜きの若手選手をトッププレーヤーに育て上げる術も知っていた。ガリーとフィリップのネビル兄弟やデイビッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、ウェズ・ブラウン、ニッキー・バットら “ファギー・ベイブス”と呼ばれる選手たちの長年にわたる活躍は、とりわけ指揮官を満足させるものだった。

 今季までエバートンを11シーズン、計500試合以上率いてきたデイビッド・モイズ監督をその後継者に選び、彼と6年間の長期契約を結ぶというマンチェスター・ユナイテッドの決断は、フットボールの世界では稀(まれ)に見る一貫性ある強化方針の模範例となるだろう。

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著者プロフィール

アルゼンチン出身。1982年より記者として活動を始め、89年にブエノス・アイレス大学社会科学学部を卒業。99年には、バルセロナ大学でスポーツ社会学の博士号を取得した。著作に“El Negocio Del Futbol(フットボールビジネス)”、“Maradona - Rebelde Con Causa(マラドーナ、理由ある反抗)”、“El Deporte de Informar(情報伝達としてのスポーツ)”がある。ワールドカップは86年のメキシコ大会を皮切りに、以後すべての大会を取材。現在は、フリーのジャーナリストとして『スポーツナビ』のほか、独誌『キッカー』、アルゼンチン紙『ジョルナーダ』、デンマークのサッカー専門誌『ティップスブラーデット』、スウェーデン紙『アフトンブラーデット』、マドリーDPA(ドイツ通信社)、日本の『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿

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