サポーターと紡いだJリーグ20年の歴史=激動の時代を乗り越え、成熟した安定期に

大住良之

サッカーのイメージを大きく変えたカズの存在

Jリーグ、日本サッカーのシンボルとして長く活躍してきたカズ。46歳となったいまも現役で戦い続ける 【Getty Images】

 さて、少し見方を変えて、この20年間の「最強チーム」はどこか、また「MVP」は誰かを、超個人的趣味で考えてみたい。

 20年間で最も優れた成績を残したのは、もちろん、鹿島アントラーズである。20シーズンで年間チャンピオン7回。80年後に『Jリーグ100年の歴史』を編むなら、最初の20年は(もっと長くなるかもしれないが)間違いなくアントラーズとなるだろう。「ジーコイズム」でクラブのコンセプトが貫かれ、選手が変わってもそれが受け継がれているのは、驚嘆に値する。

 しかしシーズン単位で優勝したチームを比較するなら、1999年から2002年にかけてのジュビロ磐田ほど強烈な印象を与えたチームはいない。ドゥンガが去り、その薫陶を受けた日本人選手が大輪の花を咲かせたのがこの時期のジュビロだった。DF鈴木秀人、田中誠、服部年宏、MF福西崇史、名波浩、藤田俊哉、FW中山雅史、高原直泰。日本代表選手をずらりと並べ、名波を中心に変幻自在の攻撃を仕掛けるだけでなく、中山&高原という日本サッカー史上最強の2トップを擁したジュビロ。2001年にスペインで開催予定だった第2回FIFAクラブW杯の中止は、本当に残念だった。

 私にとってのJリーグ20年のMVPは、もちろんカズ(三浦知良)だ。

 ヴェルディ川崎(現東京V)のシンボル、いやJリーグのシンボルとして、サッカーというもののイメージを大きく変え、最初の2回のチャンピオンに導く活躍をしただけでなく、46歳の今日まで現役として戦い続けていることは、驚嘆に値する。

 無数の少年がカズにあこがれ、そのなかの数百人がJリーグのプレーヤーとなり、数十人は日本代表となり、ヨーロッパを舞台に活躍するようになった者も少なくない。一時的に海外でプレーしたことはあるものの、この20年間、カズは変わることなくカズであり、「キング」だった。その存在が、Jリーグと日本のサッカーをここまで引っぱってきたと言っても過言ではない。

「サポーター」こそ、Jリーグが生んだ最高の宝

サポーターが無償の愛情を注ぎ続けてきたことが、リーグの発展につながったのは間違いない 【Jリーグフォト(株)】

 Jリーグの最初の10年、「揺籃(ようらん)期」は、同時に「変動期」でもあった。そのなかでクラブがホームタウンに根付く努力を続け、サポーターが無償の愛情を注ぎ続けてきたことが、それからの10年の「安定期」と発展につながった。

 そう、「サポーター」こそ、Jリーグが生んだ最高の宝に違いない。

 私はここで、試合中にゴール裏に陣取って歌い、声援を送る人びとだけを指して「サポーター」と言っているのではない。定期的にスタジアムで観戦している人だけでもない。ホームゲームの日には窓からそっとクラブの応援旗を出す人々、ホームタウンにあっていつも心のどこかでクラブのことを気にかけている人まで、幅広い人びとを指す。「Jリーグ前、日本にサッカーはなかった」と言った人がいるが、それは完全な間違いだ。しかしサポーターは、Jリーグ以前には存在しなかった。Jリーグの誕生とともに生まれ、あっという間にリーグとクラブに不可欠な存在となったものだ。

 1993年、Jリーグで最初のステージ優勝を飾ったのは鹿島アントラーズだった。優勝決定は7月7日。2−0で浦和レッズに勝ち、ステージ優勝を決めた。しかしこの日、浦和の駒場スタジアムに駆けつけた500人を超す報道陣の前で、アントラーズは「胴上げ」を行わなかった。試合が終わると、いつものようにホームタウンからかけつけたサポーターたちが陣取るスタンドの前に行ってあいさつすると、そのまま更衣室に引き上げた。レッズのサポーターたちの心情を思ったからだ。

 アントラーズの快進撃を支えたのは、間違いなくサポーターたちだった。レッズのサポーターたちも力の限り声援を送ったのだが、勝ち運から見放され、チームは最下位にあえいでいた。優勝の喜びを爆発させるなら、レッズのサポーターの傷に塩を塗り込むような形でなく、アントラーズのサポーターの前で……。その思いからだった。それを理解したレッズのサポーターたちは、更衣室に消えていくアントラーズの選手たちに心からの拍手を送った。

心揺さぶられた「最も悲しいVゴール」

福田(左)が「最も悲しいVゴール」を決めたあと、サポーターからは予想外の声が巻き上がった 【写真:アフロスポーツ】

「20年間で最も心揺さぶられた瞬間は?」と問われたら、即座に1999年11月27日の駒場スタジアムと答えるだろう。

 第2ステージ最終節、「90分以内で勝てばJ1残留」が決まる浦和レッズが、勝ちきれず、ようやく延長Vゴールでサンフレッチェ広島を下した。J2誕生1年目のことである。前年の「J1参入決定戦」の結果、コンサドーレ札幌がJ2への「降格」第1号となったが、2ステージの総合成績で降格が決まるのは、この年が初めてだった。すでにベルマーレ平塚の降格が決まっていたが、残り1つが最終節に懸けられていた。そして延長戦に入ったことで、レッズの降格が決まったのだ。

 福田正博が「最も悲しいVゴール」を決めて試合が終了したとき、駒場は一瞬の沈黙に包まれた。正直なところ、私は、降格を食い止めることができなかったチームに対し、サポーターから大きなブーイングが起こるのではないかと思っていた。しかしスタンドから湧き上がったのは、予想外の声だった。
「ウイー・アー・レッズ! ウイー・アー・レッズ!」
 それは、サポーターとクラブの真実の愛の瞬間だった。

 レッズだけの話ではない。こうしたサポーターたちの愛の物語が、42のクラブの数だけある。それこそ、Jリーグが20年間で得た最大の宝であることは間違いない。そしてクラブとサポーターの絆こそ、Jリーグの理念「百年構想」実現に向けての最も基礎的な力になるのではないか。「百年構想」は誰も見ることのできない先の話かと思っていた。しかし意外に近いところにあるのかもしれない。

<了>

2/2ページ

著者プロフィール

サッカージャーナリスト。1951年7月17日神奈川県生まれ。一橋大学在学中にベースボール・マガジン社「サッカーマガジン」の編集に携わり、1974年に同社入社。1978年〜1982年まで編集長を務め、同年(株)ベースボール・マガジン社を退社。(株)アンサーを経て1988年にフリーランスとなる。1974年からFIFAワールドカップを取材。1998年にアジアサッカー連盟「フットボール・ライター・オブ・ザ・イヤー」を受賞。 執筆活動と並行して財団法人日本サッカー協会 施設委員、広報委員、女子委員、審判委員、Jリーグ 技術委員などへの有識者としての参加、またアドバイザー、スーパーバイザーなどを務め、日本サッカーに貢献。また、女子サッカーチーム「FC PAF」の監督として、サッカーの普及・育成もつとめる。 『サッカーへの招待』(岩波新書)、『ワールドカップの世界地図』(PHP新書)など著書多数。 Jリーグ開幕年の1993年から東京新聞にてコラム『サッカーの話をしよう』がスタートし、現在も連載が継続。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント