42歳を過ぎても衰えぬNBAへの情熱=挑戦者・阿部理、壮絶なプレー人生を語る

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再起を促した出会い

フィジカル的にはNBAで通用する自信を持っている阿部。それは現地のトレーナーのお墨付きでもある 【スポーツナビ】

 失意の帰国から数カ月、無気力で部屋に引きこもる日々が続く中、ふとしたことから、阿部の命の恩人であり、選手生命の恩人と出会う。世界的にも有名なリーディングヒーラーの先生の治療を受ける機会があったのである。初めはそこに赴くことさえ億劫で、重い脚を引きずりながら向かった先で、初めて阿部の膝の状態を見ても、「なんとかなる」と前向きに言ってくれた運命の出会いだった。そこから約1年に渡る二人三脚でのリハビリの日々が続き、その間に脳腫瘍についても手術を受けた方が良いとの助言も受け、一度身体を完全にリセットした。

 そして、リハビリを終えた07年の夏。阿部は2度目のNBA挑戦のために米国に渡った。現在の阿部のトレードマークである緑色のモヒカンも、先生の助言を受けてのものだった。色は日本仕様の場合は黒髪だが、米国にいるときは緑色にしている。

 現在もNBAへ挑戦を続ける阿部は、先生について「いろんな活動をしている先生なので、僕が有名になって恩返しができればいいなと。命の恩人であり、選手生命の恩人なので」と笑って話してくれた。

NBAでプレーできる自信

 2度目、3度目の挑戦とNBAのスカウトにかかることなく帰国した阿部。3度目の挑戦のときは「絶対NBA選手になってやる」という意気込みと共に渡米した。しかし、結果はコンディションが上がってきたころにビザが切れ帰国。その後はすごく落ち込むのかと思っていたらしいが、実際は違った。その心境は、今ではプレー面で通用すると自信を持っている。

「私は最終的にヘッドワークで勝負する選手になると思います。NBAの選手で言ったら、ラリー・バードや、ダーク・ノヴィツキーといった選手のスタイルがNBAで生き残るための究極の形だと思います。そして、今回渡米してNBAの選手もクライアントに持つトレーナーについていて、NBAでやれるフィジカルレベルにあとどのくらいでなるか聞いたことがあります。そこで、もうやれるだけのパワーは付いてるんじゃないかと言われたのが自信になっています。後は頭の指令にフィジカルがどれだけついてこれるかと言うところ。今回はそのためのトレーニングを今回は重点的に行いました。自分よりも素早くて強いという相手を前提にして、コーチからは技術を教わりました。そういう場面に遭遇したときに自分がどういうプレーをしたら相手を打ち破れるのか、特に今まであまりトレーニングしてこなかった、シュートスキルとかをトレーニングしているので、そこを試したいね」

扉を開くために必要なノイズ

 プレー面では通用するとコーチのお墨付きももらっている阿部。では一体彼には何が足りないのだろうか? そのことを尋ねると、阿部は少し考えた後に口を開いた。「ノイズが足りないよね」。ノイズとは何のことなのだろうかと思っていると、こう続けて話した。「私の年齢だと、いくらフィジカルレベルが通用するとしても、同じくらい、もしくは少し低いくらいのフィジカルレベルだとしても、チームは若い選手を取るよね。そっちの方が将来性もあるし当然の判断だね。だったら私には、それを上回るだけの話題性がなければいけない。スポーツと言ってもやはりプロはプロ。ビジネスの側面があることは否定できない。その側面がある以上は、私がNBA選手になることでどれだけジャージが売れるのか、などといった金銭面をチームのフロントは考えるからね。だからその側面でも通用すると言う根拠を持っていないといけないと思う」

 だから今、メディアに多く取り上げてもらって話題性を作ることは率先してやる。モヒカンもその一環だ。NBAの扉は向こうから開かない限り、こちらからこじ開けることはできない。そのための順序として、まずは日本で話題を作る、そしてそれを米国に持ち込んでさらに大きくしていくのだと阿部は話した。

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