42歳を過ぎても衰えぬNBAへの情熱=挑戦者・阿部理、壮絶なプレー人生を語る
再起を促した出会い
フィジカル的にはNBAで通用する自信を持っている阿部。それは現地のトレーナーのお墨付きでもある 【スポーツナビ】
そして、リハビリを終えた07年の夏。阿部は2度目のNBA挑戦のために米国に渡った。現在の阿部のトレードマークである緑色のモヒカンも、先生の助言を受けてのものだった。色は日本仕様の場合は黒髪だが、米国にいるときは緑色にしている。
現在もNBAへ挑戦を続ける阿部は、先生について「いろんな活動をしている先生なので、僕が有名になって恩返しができればいいなと。命の恩人であり、選手生命の恩人なので」と笑って話してくれた。
NBAでプレーできる自信
「私は最終的にヘッドワークで勝負する選手になると思います。NBAの選手で言ったら、ラリー・バードや、ダーク・ノヴィツキーといった選手のスタイルがNBAで生き残るための究極の形だと思います。そして、今回渡米してNBAの選手もクライアントに持つトレーナーについていて、NBAでやれるフィジカルレベルにあとどのくらいでなるか聞いたことがあります。そこで、もうやれるだけのパワーは付いてるんじゃないかと言われたのが自信になっています。後は頭の指令にフィジカルがどれだけついてこれるかと言うところ。今回はそのためのトレーニングを今回は重点的に行いました。自分よりも素早くて強いという相手を前提にして、コーチからは技術を教わりました。そういう場面に遭遇したときに自分がどういうプレーをしたら相手を打ち破れるのか、特に今まであまりトレーニングしてこなかった、シュートスキルとかをトレーニングしているので、そこを試したいね」
扉を開くために必要なノイズ
だから今、メディアに多く取り上げてもらって話題性を作ることは率先してやる。モヒカンもその一環だ。NBAの扉は向こうから開かない限り、こちらからこじ開けることはできない。そのための順序として、まずは日本で話題を作る、そしてそれを米国に持ち込んでさらに大きくしていくのだと阿部は話した。