昨年度賞金王・藤田寛之の目指す道

国内開幕戦で見せた賞金王の貫録

国内男子ツアー開幕戦に出場した藤田は初日の予選落ちの危機から一転、最終日は4位まで順位を上げて、昨年度賞金王の貫録を示した
国内男子ツアー開幕戦に出場した藤田は初日の予選落ちの危機から一転、最終日は4位まで順位を上げて、昨年度賞金王の貫録を示した【写真は共同】

 国内男子ツアー開幕戦の東建ホームメイトカップは、43歳のベテラン塚田好宣が2位に4打差をつける大逆転でツアー初優勝を飾ったが、その最終日、やはり43歳の藤田寛之も67をマークして4位タイへと浮上した。最後に昨年度賞金王としての貫録を見せたと言ってもいいだろう。


 大会初日の藤田のスコアは1バーディ、1ボギーの71。順位は予選落ちさえ案じられる59位タイだった。前週に行われたマスターズ2日目、プロ入り自己ワーストの85というスコアを叩き最下位で予選落ちを喫した藤田は、月曜日に帰国し、本拠地である葛城GC(静岡県)で例年と同じような軽い調整をして会場となる東建多度CC名古屋(三重県)に入った。初日のスコアだけを見れば、マスターズでの落胆、そして長旅の疲れに時差ボケなどの影響で予選落ちも十分あり得た。


 しかし、強風が吹いた2日目は73とスコアを2つ落としたものの、順位は20位タイへと浮上し楽々と予選を通過。3日目になって、やっと2バーディ、ノーボギーとアンダーパーでまわり再び通算スコアをイーブンパーに戻し、16位タイで最終日を迎えた。

「最終日はパターが入っただけです。ショットは、相変わらずよくありませんでした」と藤田は言うものの、結果は6バーディ、2ボギーの4アンダーでフィニッシュ。初日の59位タイから4位タイまで順位を上げて来るのは、やはりただものではない。

猛練習が裏目に出たマスターズ最下位

 初の賞金王として迎える今シーズン、まずは2度目の出場となるマスターズへ向けて万全の態勢で臨もうと、1月恒例のハワイ合宿に入った藤田は、肋骨の疲労骨折というアクシデントで出鼻を挫かれた。「ただメニューをこなすだけのトレーニングではダメです。自分がどんなゴルファーになりたいかをトレーナーに伝えて、トレーニングメニューを作ってもらわなければなりません」と、かねてから藤田は、体のケアについては、人一倍神経を使って来たプロのひとりだ。にもかかわらず、猛練習が招いてしまったアクシデント。意気込みが裏目に出てしまったと言うほかない。


 それでも痛みをこらえて2月に開催されたWGCアクセンチュアマッチプレーに強行出場(結果は33位タイ)したものの、その後はクラブも振れないほどケガは悪化してしまいドクターストップがかかった。よやく1日50球程度のフルスイングが許されたのは、3月も半ばになってからのことだ。藤田にとってマスターズは夢の舞台だ。それを藤田はよく「ブロードウェイ」と表現していたものだ。稽古もままならぬまま、その舞台に立たざるを得なかった藤田の胸中は、さぞ無念であったことだろう。その結果が最下位である。

44歳が目指す挑戦者としての至福の時間

 2008年、初めて全米プロ選手権に出場した直後のインタビューの際、藤田はこんなことを言っていた。

「トレーニングにしても、去年よりは今年、今年よりは来年というふうに、どんどん苦しくなって来ています。若いころなら、やったらやった分だけ返って来ました。ダメならダメでも出直せました。今、ダメになったら、もう本当にダメでしょ」

 その年の藤田の賞金ランキングは9位。翌09年は5位。10年は2位。11年は5位。そして昨年ついに、賞金王に上り詰めた。「今、ダメになったら、もう本当にダメでしょ」と言ってから、もう5年近く経ち、もうじき藤田は、この6月16日には44歳になる。国内開幕戦での59位タイから4位タイへの巻き返しは「もうダメでしょ」と言っていた藤田自身へのうれしい裏切り、あるいは、うれしい誤算であったようにも思えた。


 メジャーで戦う意味を、藤田は「国内では受けて立つ立場で、苦しみもがきながらその立場を守ろうとしているんです。でも、メジャーに行くと、まだまだそれほどのプロじゃないぞ、って思えるんです。チャレンジャーになれるんです」と話している。

 ワールドランキング60位以内をキープしていれば、メジャー2戦目の全米オープンに出られる。日本の賞金王として全英オープン、全米プロ選手権の出場は約束されている。それは藤田にとって挑戦者として至福の時間を過ごす場でもある。

久保田千春

1948年東京生まれ。長らく週刊ゴルフダイジェストでトーナメント担当として世界4メジャーを始め国内外の男子ツアーを取材。91年から今も続く週刊ゴルフダイジェストの連載「ノンフィクションファイル」を立ち上げ担当して編集作業を行う傍ら自らも執筆。フリーとなった今も同連載に寄稿している。2007年にアマチュアだった石川遼のツアー優勝以後、石川勝美氏の依頼により「バーディは気持ち」の編集作業を担当し、その過程で石川家と親しく交流するようになった。それが縁となり武蔵野千のペンネームで週刊ゴルフダイジェスト連載の「遼くん日記」の原作を08年から12年まで執筆。現在は同誌で「迷ったとき、ユハラにかえれ!」を執筆中。91年に当時のツアーオブジャパンの依頼で日本ゴルフ雑誌記者協会を創立し、ゴルフダイジェストを退職した08年まで同協会会長を務める。また、ここ20年ほど世界ゴルフ殿堂に委嘱されインターナショナル部門の選考も行っている。

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