“愛すべき”ラミレスが偉業達成できた訳=外国人選手初の2000安打
本塁打で達成した外国人初の偉業
6日に川上哲治氏に次ぐ、史上2番目のスピードで2000安打を達成したラミレス 【写真は共同】
「明日は雨で中止? あさっても天気が悪いみたいだから、火曜日に横浜で決めるよ」
そうおどけた後、最後にこぼれた本音がこの一言だった。
「タイムリーで決めたいね」
チームの勝利に貢献する打撃をすること。これが自分に求められる役割であり、それが達成できて、チームが勝利することがなによりの喜びだと、ラミレスは常々語っていた。そんなラミレスにとって、昨日は最高の一日だったに違いない。
前夜のゲームで“快挙”まであと1本に迫ったラミちゃんこと、アレックス・ラミレスが6日、雨の降りしきる神宮球場で、2000安打を達成した。来日13年目、試合数にして通算1695試合目での大台到達は、『打撃の神様』と呼ばれた川上哲治氏(巨人)に次ぐ、史上2番目のスピード記録。そして、外国人選手としては史上初となる偉業達成だ。
感謝――その根底にあるもの
偉業達成の一打は、レフトスタンドへと飛び込む今季1号本塁打。これが呼び水となり、チームは逆転勝ちを収めた。どんなときでも“感謝”と、チームの勝利への執念を口にするラミレスにとって、勝利とともに自らの記録達成を成し遂げられたことは、最高だったに違いない。ちなみに、通常は試合前の囲み取材などでは笑顔を絶やさないラミレスだが、残り3本に迫ってからは、珍しくピリピリした様子もあったという。
「普段は練習のときに、ミックス(変化球と真っすぐを織り交ぜたもの)じゃなかったんだけど、3本になってからはミックスを投げてくれと頼まれ、ひとつひとつの動作を入念に確認しながら練習していた。練習中の顔つきと空気感が試合のときと同じだった」と打撃投手が振り返るように、幾多のチャンスで期待に応えてきたラミレスにも、普段以上のプレッシャーが掛かっていたようだ。
1974年10月3日生まれ。ベネズエラ出身。野球を始めたのは5歳のころ。母国での“ストリート野球”から、ラミレスのキャリアはスタートした。8歳のころにリトルリーグのチームに加入。そのころ、家庭環境が裕福でなかったため、当時の監督がラミレスの会費を負担してくれていたという。そこから歩みを始め、米マイナー、MLB、そしてNPBへの挑戦。野球をやれる環境がある喜びを感じることで、野球を始めた当初から、ラミレスが常々口にする、野球への『感謝』という礎が出来上がった。
昨日の試合後にも、まず口にしたのがこの言葉だった。
「今まで、手助けしてくれて、信じて使ってくれた監督、コーチ、トレーナーの皆さんに感謝したい」
自らを起用し続けてくれた首脳陣、裏方への感謝。もちろん、この発言の前後には家族や友人たちへの感謝もあった。多くの支えがなければ、異国の地で、いままで誰も成し得なかった偉業の達成は絶対になかっただろう。
「将来的には帰化、日本人になりたいな」
それは、常に結果を残してきたからでもある。日本野球をとことん研究し、今でも打った場面や配球の話になると、目の色が変わる。獲得したタイトルは首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回。加えて2度の最優秀選手に選出されたという輝かしき実績は、過去に「歴代最強」などとうたわれてきた助っ人選手たちに勝るとも劣らない。
かつての戦友で、記録達成時には花束を贈呈した宮本慎也は、「身体が強いというだけじゃ済まない。技術もあるし、順応力もある」とラミレスを評する。これまで多くの外国人選手が到来しては、志半ばで去って行った。彼らが得られなかった成功をラミレスが勝ち取ってこられたのは、誰よりも真摯(しんし)に、そして熱心に、異文化での生活にもめげることなく野球に取り組んできたからだ。
次の目標は? との質問を投げかけられたラミレスは、最後にこう語った。
「次のゴールは、個人的には400号ホームランです。そしてそれを達成して、DeNAベイスターズで優勝したい。優勝することが次のゴールです。このチームにやって来たのも、優勝に貢献することを期待されているからでもあるので、それが次のゴールです」
個人の記録達成への意欲を見せながらも、チームの勝利へ貢献することが一番という基本のスタンスは揺るがない。400号まではあと21本塁打。この数字を難なく達成することができれば、“ゴール”も限りなく近づいてくることだろう。
「将来的には帰化、日本人になりたいな。『タナカ・ラミレス』。いいよね(笑)」
日本を愛し、日本で自らの居場所を作り上げたラミレス。偉大なる“助っ人”であるとともに、日本球界を代表する最も愛すべき存在である。
<了>
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