真のプロクラブを目指す長崎が歩んだ道=J2漫遊記2013 V・ファーレン長崎

宇都宮徹壱

ターニングポイントとなった11年の決断

地域リーグで2年、JFLで4年プレーした最古参の有光。クラブが「Jを目指さない」と宣言した11年の判断は正しかったと評価する 【宇都宮徹壱】

 小嶺の後任に選ばれたのは、長崎銀行で支店長を務めた経歴を持つ宮田伴之である。宮田は、クラブ発足当初からの世話役のひとりで、ホームゲームの際にはボランティア活動をしていた。そうした経緯もあり、定年まであと7年というタイミングで退路を断って2代目社長を引き継いだのが11年のこと。当人は就任当初をこう振り返る。

「あの年は厳しかったですね。諫早のスタジアムは国体に向けて工事に入ったし、かきどまりは芝全面入れ替えということで、使用するスタジアムは島原と佐世保しかなかった。一方で、ユニホームのスポンサーがあの年は1社しかなく、資金調達も半分しかいかなかった。それでもわれわれには、スポーツで豊かな長崎を作るという使命がありました。そこでまず、45万円しかなかったクラブの資本金を1億5000万円にまで増資したんです」

 これは以前にも専門誌で書いたことだが、実は宮田が社長に就任するまで、長崎の資本金はたったの45万円しかなかった。ゆえに、長崎が「プロサッカークラブ」となるために、まず着手しなければならなかったのは増資だったのである。その意味で、決してクラブ経営に明るかったわけではないものの、銀行出身の宮田が後任社長に選ばれたことが、クラブにとって大きなプラス材料となったのは間違いない。そしてもうひとつ注目すべきは、社長就任早々に宮田が「11年は上を目指さない」という決断を下したことである。11年はクラブがJを目指すための基盤づくりにあて、翌12年にはクラブ一丸となってJ2昇格を目指す。これまた、元銀行員らしい中長期的な発想であった。

チームの結束を強めた気持ちの割り切り

 そこで気になるのが、この決定を現場の選手たちはどう受け止めたのか、ということである。たとえ4位以内に入っても昇格できないとなると、選手たちのモチベーションは低下するのではないだろうか。ところがこのシーズンの長崎は、最後まで上位争いに食い込む大躍進を見せた(最終的には5位)。その理由について、今季7年目、チーム最古参の有光亮太はこう説明してくれた。

「(昇格できるかどうか)分からないよりも、最初から無理と言ってくれたほうが、逆に『12年のために』と割り切ることができたし、チーム内の雰囲気も悪くなかったですね。(11年は最後で失速したが)そこは踏ん張りがきかなかったです。『Jに行けるんだ』ということは、そういう意味で大事でしたね。だから去年、AC長野パルセイロと最後まで競り合ったときには、ウチが優勝できると信じて疑わなかったし、長野が失速するのも自分たちが経験していたことなので予想はしていました。チーム内の結束も固く、もめたり、亀裂が入ったりすることはなかった。自分自身、去年は途中出場の試合が増えたんですが、落ち着いて自分の役割を果たしたいという気持ちのほうが強かったですね」

 かくして長崎は、昨年のJFLで最終節を待たずに優勝を果たし、入れ替え戦なしでのJ2昇格を果たした。ホームの平均入場者数も、11年の1513人から2倍以上の3580人にまで増え、さらに諫早のスタジアムも当初は13年10月オープン予定のところを8カ月前倒しにして、何とかJ2開幕に間に合わせた。準加盟になってから4年、クラブ立ち上げから8年を経て、ようやく長崎はJリーグという夢の舞台にたどり着くこととなったのである。

立場で変わるJ3への思い

小嶺前社長からクラブを引き継いだ宮田社長。J3について「地域に根付いたスポーツクラブを目指すのなら、Jの肩書きは必要」と語る 【宇都宮徹壱】

 以上が、長崎がJクラブとなるまでの道のりである。いろいろ紆余曲折(うよきょくせつ)はあったものの、それでも長崎にプロフットボールクラブが誕生したことについては、長年このクラブを気にかけてきた者のひとりとして純粋にうれしく思う。その一方で長崎の関係者には、この機会にぜひとも確認しておきたいことがあった。それは、来年から設立されることが決まったJ3について、彼らはどのような感慨を抱いているのか、ということである。

 元ゴール裏の住人で、今年から長崎の番記者となった植木は、J3設立への自身の感情を非常に分かりやすい比喩でこう語ってくれた。

「たとえば自分がずっと貯金して、すごく高価なブランドの服を買ったとしますよね。でもそれが次の年に、近所の量販店で売られていて、そこらへんの兄ちゃんが着ていたら、何だかガッカリするじゃないですか。そんな感じですね」

 地域リーグで2年、JFLで4年プレーした有光も、J3への感情は複雑である。ただしそれは、サポーターとは明らかに異なる理由によるものであった。

「悔しいですね。JFLって、準加盟になれば強くなれるわけではなくて、むしろそうではない企業チームのほうが強かったりするじゃないですか。J3を作るんであれば、もっと早く作ってほしかったです」

 一方でクラブのフロントは、こちらが予想していた以上にJ3には好意的な様子だ。

「どこも多かれ少なかれスタジアム問題は課題として残るでしょうが、それでも地域に根付いたスポーツクラブを目指すのなら、Jの肩書きは必要だと思います」(宮田社長)

「あまり気にしていませんね。というのも(J3ができても)J2に上がる条件というのは、それほど変わらないと思いますから。ただ、長崎はスタジアムで苦労してきましたので、その方面では情報を持っています。いずれJ3から上を目指すクラブに、何かしらアドバイスできるような立場になれればと思いますね」(溝口部長)

 もしかしたら長崎は、JFLからJ2に昇格する、最後のクラブとなるのかもしれない。日本サッカー界のピラミッドが急激に変化する中、確かに長崎が割りを食ったという事実は認めざるを得ないだろう。それでも彼らは、これからJ2を目指そうとしているクラブの規範となろうと考えているようだ。実に頼もしい。そうした気持ちの余裕にこそ、Jクラブとしての、そしてプロサッカークラブとしての、長崎の密やかな矜持(きょうじ)が感じられる。

(文中敬称略)

<了>

(協力:Jリーグ)

2/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

スポーツナビからのお知らせ

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント