再起を懸ける高原直泰が歩んだ苦難の道=初のJ2で復活を果たせるのか

元川悦子

「頑張れば頑張るほど負担は重くなる」

07年のアジアカップでは得点王を獲得するなど大活躍したが、この大会をピークに下降線をたどっていった 【写真:Jinten Sawada/アフロ】

 これほどまでに急激な下降線を描く選手も珍しい。磐田時代の先輩である福西崇史氏は「高原はクラブと代表を掛け持ちするために何年も日本とヨーロッパを行き来してきた。その疲労は簡単に取れるものじゃない」と指摘したが、確かにそれは一理ある。

 ジーコジャパン時代は欧州組偏重主義が際立っており、中村や高原や小野、稲本らは毎月のように帰国を強いられていた。高原も04年に肺動脈血栓塞栓症を再発させた過去があるほどだ。こうした無理の積み重ねがコンディションに影響したのか、彼らの世代は30歳前後になってケガが急増。体力低下も著しくなった。

「日本とヨーロッパはシーズンも違うし、何年もまともに休みを取ることができなかった。頑張れば頑張るほど負担は重くなる。どこかで休まないと必ず跳ね返りが来ると思う」と高原自身もしみじみ話していた。この教訓は日本サッカー界として絶対に生かさなければならないだろう。

 結局、彼は10年夏に韓国Kリーグの水原三星へ新天地を求めることなった。半年間という短い在籍だったが、12試合出場4得点という結果を残し、自分らしさと自信を取り戻すきっかけを得たという。そして11年には高校時代を過ごした清水に戻ってくる。長年の盟友・小野伸二とのコンビ再結成に清水のサポーターは色めきたった。

 小野も「タカと久しぶりに一緒にやれるのはうれしい」と語り、新たに就任したアフシン・ゴトビ監督も2人のホットラインに大きな期待を寄せた。ケガがちなベテランに負担がかからないようにホームゲーム中心の起用にとどめるなどの配慮も試みた。その結果、清水1年目は28試合に出場し8ゴールを挙げる。この得点数は大前元紀と並んでチームトップ。2年目に希望の持てる数字だったのは確かだ。

このまま終わってしまうのはあまりに惜しい

 しかし、迎えた12年シーズンは思わぬ方向へと進む。開幕から出たり出なかったりで立場が定まらず、夏場には勝てないチームのテコ入れ策としてゴトビ監督が採った大胆な若返り策に巻き込まれた。8月25日の浦和戦後には、指揮官自ら「途中から出た高原にはもっと危険なところでプレーしてほしかった。でも彼は1年半、自分を変えようとしない。そこが難しいところだ」と失望感を露にするなど、完全に構想外に位置づけられる。

 秋口には小野と高原がミニゲームにも交わらずに黙々とシュート練習をしている姿がしばしば見られ、チームにも不穏な空気が漂っていた。小野は一足先にオーストラリアへ渡るチャンスを得たが、シーズン終了まで清水に残った高原は針のむしろにいる心境だったに違いない。

 そんな日々を繰り返さないためにも、今回の東京V移籍では絶対に失敗できない。6月に34歳となる彼にとってトップレベルでプレーできる時間はそう長くない。1つ年上の中村俊輔も「この年になれば1年1年が勝負」とシビアに考え、入念にコンディションを整えてシーズンに臨んでいる。

 高原が今、まずやるべきなのは、1年間しっかりと走り切れる屈強な体を作ること。浦和、清水でコンスタントな結果が残せなかったのも、負傷や体調不良が多すぎたためだ。同い年の遠藤が今も年間60試合前後を消化しているのも、大きなケガをしていないのが大きい。体さえ動けば、長年研ぎ澄ましてきたストライカーとしての感覚は十分に発揮できる。それを三浦泰年監督もチームメートも心待ちにしているだろう。

 かつて日本中を虜にした才能ある点取り屋がこのまま終わってしまうのはあまりに惜しい。偉大な先輩である中山雅史が45歳まで現役を続けたように、彼にはもうひと花もふた花も咲かせてもらわなければ困る。ガンバ大阪、ヴィッセル神戸が降格してきた今季のJ2はそれほどレベルは低くない。本人にとっても勝負するには不足のない舞台といえる。ここで原点に戻り自分を見つめ直せば、ゴール量産は夢ではないはずだ。プロ16年目を迎える2013年に、キャリアのすべてを懸ける高原直泰の動向にあらためて注目したい。

<了>

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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